悪霊と心臓/夢日記

夢日記081023.thr

父方の祖母の家。

ガラス戸のそばのカーテンの中にまだ幼稚園の僕が見つからないように縮こまって隠れている。

表面をでこぼこに加工したガラスを透過してくる光が暖かい。季節は春である。

そんな僕に誰かがこう言った。いや、あるいは僕自身が僕に対してこう言っている。

「弟に聞いた話なんだけど――」

景色が別の場所へと変わる。

二つの石材を組んで立てた柱が門を形成している場所だ。

空は抜けるような青空であり、門の向こうには美的に刈り揃えられた植木が並んでいる。

だが、大気の中を水槽の濁りのように不透明な何かが漂っているように見える。

不吉な何かへの悪印象が胸を締め付ける。

「すごい金持ちの家にある子供が生まれた。その子は生まれつき悪霊を引き寄せてしまう体質で、周りには並みの霊能者では近づくことすらできない量の悪霊が集まっているんだ。普通の人間なら門に近づくだけでも危険だ」

僕は今、どうやらその門の前にいるらしい。

門の向こうには建物がある。それは、レンガ積みに似た外装を施したコンクリート造の3階建ての建物だ(僕は目が覚めてからこれが箱崎の九大工学部本館であったことに気がつく)。

「他の家族も彼に似たり寄ったりの体質だったけれど、彼は特別だった。彼は家から出ることもできず、他の子供とも遊べずに一人でテレビゲームばかりしていた」

僕はだんだん苦しくなってきていた。体が重たく感じられる。そうだった、前にこの夢を見た時にもすごく苦しめられたのだ。思い出した。ここから離れなければ。僕は振り返りながら門から離れてようと一歩を踏み出した。

しかし、振り返った方にもまた門があった。その門の向こうには、さっきまでと同じ美的に刈り揃えられた並木と玉砂利に飛び石が配置された小路がある。そしてその小路の先には大きなお屋敷があった。

「彼が少年になる頃、屋敷に集まった悪霊の影響で家族が相次いで死んだ。しかし彼は死ななかった。彼は収入の道を断たれたが、家から出ることはできない。家から出ずに収入を得る必要があった」

僕はもう一度振り返った。すると、今度は池沿いの歩道に変わっていた。こちらになら帰れる。そうだ。前にもこの夢を見た時には、こちらの方向へと逃げたのだ。それも、元気良く、悪霊が明るい気持ちを嫌がって付いてこないようにしながら逃げなければならない。

僕は飛び跳ねながら逃げた。つとめて明るく振舞い、歩道に設営された藤棚の横木を飛んだときに右手の手の平で叩いたりしながら逃げた。

しかし、数メートル進んだところで不意に力が抜けた。いや、一瞬めまいをおこしたのだ。気が付いたら膝をついていて、さっき池だった場所に洞窟のような場所が現れていた。

「彼はゲームデザイナーになったんだ。ストーリーを考えて、キャラクタをデザインして、プログラムを組んだ」

その洞窟のようなものは遊園地のアトラクションだった。今、一回の公演が終わり、人がぞろぞろと出てきているところだった。アトラクションは楽しいもので、悪霊は嫌がるだろう。僕はそこへと逃げ込むことにした。

明かりが落とされた映画館のような場所に僕は座った。

「彼のゲームは大人気になり、彼は生きていくのに十分なお金を得た」

スクリーンに映像が映し出された。一人の少年がいて、彼の周りに悪霊がいる。

「それだけじゃない。彼のゲームはゲームのファンたちによって漫画やアニメになった」

鎧を着た騎士や魔法を使う明るい衣装を着た魔女たちが現れ、少年と悪霊の間に立ち戦い始めた。

「そうやって彼は今も生きているんだ」

騎士や魔女に追われた悪霊たちは、映写の光から逃れて映画館の闇に溶け込んだ。

そして僕の視界を黒い何かが覆おうとした。

頭に覆いかぶさったそれを僕はシャツを脱ぐように前方へと剥ぎ捨てた。

一瞬、映画のスクリーンが視界に戻る。それはエンディングロールに進んでいた。

しかし、また僕の視界が暗くなる。

僕は首にまとわりついたそれをまた剥ぎ取る。また一瞬明るくなる。

また暗くなる。剥ぎ取る。一瞬の明るさを見る。

それを繰り返す。一回、二回、三回、四回……。

だんだん僕は息が苦しくなってくる。剥ぎ取る作業が機械的になり、視界の明滅の間隔が短くなる。

だんだん一瞬に見える光の大きさが小さくなる。

こんなに息苦しいのに動悸は激しくない。いや、むしろ心臓の音が聞こえない。脈拍の振動が体に感じられない。手の実在が認識できなくなり、まとわりつくものを剥ぎ取れなくなった。

僕はその漆黒に包まれる。

「もう力を抜いたらどうだい?」

僕が自分に言ったのだろうか?あるいは、誰かが僕にそう言った。

僕は体の力を抜いた。

その瞬間、頭に光が差した。

「自分に執着しろ!」

僕は一瞬の脱力の後、力を込めようとした。

全身で反応したはずだが、わずかにみぞおちに力を入っただけだった。

それでも、自分の存在を感じるには十分だった。

光はさっきの一瞬の後過ぎ去り、暗黒の中に僕の中心で力を入れようとする何かだけが残った。

暗黒が一秒、二秒と続く。僕の存在は腕も足も感じられない。ただ、おなかの辺りの中心だけしかない。

暗黒の空間が五秒続いた後、それがただの暗闇に変わった。

=*==*==*=

何も見るものがない暗黒ではなく、光が少ないだけの闇に。

僕はまぶたが開かれていることを知る。

じんわりと闇に目が慣れていった。そこは自分の部屋だ。

僕は仰向けに寝ていることを知ったが、体は全力で運動をした後のように筋肉は脱力と緊張の中間の状態にあって、自分の意思で思うように動かせない。

痛みなどの不快感はない。どうやら温覚や痛覚が麻痺しているようだ。

これほどの悪夢にもかかわらず汗は一滴もかいていなかった。

眼球だけを動かして部屋の中を確認する。動けないという意味では金縛りに近い状態だが、幽霊に類するような存在は視認できなかった。

つまり、危機は夢の最中に完結したのだ。

僕は安堵しつつ思った。

(こんな夢、もう一回見たら次は死んでしまうかもしれんぞ!)

大きく僕は鼻から大きなため息をつく。口は閉じたままだった。

呼吸は穏やかだ。というよりも、全身がゆっくりすることを欲しているように感じられた。

僕は一本の棒のように体をまっすぐにし、両手の平をみぞおちの上で重ねた状態で横たわっている。

そのままの姿勢で僕は夢のことを思い返す。

(そうだ、確かにあれは昔一度見た夢だった。あの時も門があって、ゲームが好きな少年の話があった。今日のあの大きな建物はなかった気がするけれど、他の多くの点で共通する。あの建物は裁判所みたいだった。立派な建物……。)

僕はその建物の正体を思い出す。

(そうだ!あれは本館だ!いや、だとするとあの息苦しさにも覚えがある!あの、心臓が止まると思った時だ!)

それは心臓が、エンジンでかからないときにそうであるように、しゃくりあげるように動きがおかしくなる体験だった。脈拍と呼吸はたいてい連動している。心臓がいつもは下から上へと収縮が連動している(と僕は感じている)ものが、下と上とが収縮するタイミングがどんどん近くなり、呼吸もタイミングを失って短くなったり長くなったりする。そして、びくんっと心臓全部が跳ねた後、一秒、二秒と呼吸と脈拍が止まったように感じられた。そして、空白の後、心臓が普通にいつものリズムを再開したのだ。

この間、僕は本館入り口前で一歩も動けず胸を押さえていた。

(あの時の記憶だ。ということは、今夢を見ている最中にあんな状態になっていたということだろうか?いや、もしかしたら前にこの夢を見たときも?この夢を前に見たのは10代の後半のことだったはずだ。そういえば僕は昔大学3年生くらいのときに、鬱屈した気分の中で呼吸を止めたら心臓も止まるという具合に静かに死ねないものかと考えていた。普通はそんな発想をしない。しかし、この現象が記憶として背景にあったとしたら?もしかしたらこれは4年くらいという長いスパンで繰り返しているのか?)

だが僕は思い直す。

(いや、待て。俺はことを重大に考えすぎている。ただの気のせいかもしれない。これはただの悪夢かもしれないのだ。最近、ストレスが多いし、その可能性も高い。ただの夢だからこれも夢日記に書くのだろうか?しかし、どのように書こうか?始まりはどうだったか……)

僕は意識して夢の最初を思い出そうとする。

(懐かしい場所という印象がある。光がやわらかくて、カーテンがある、狭い場所、俺は小さくて……)

僕はそこで衝撃的に思い出す。

(あれはばあちゃんちの窓際だ!そうだ、あの時も何か死にそうになったような気がする!でも、まさか……いや、思い過ごしだ。)

僕は懊悩を止めて、体の状態に意識を向ける。指から手へと少しずつ順番に動かしてみる。

右腕を掛け布団から抜き、顔をなでた。左腕もみぞおちからはずして脇を開き、足も膝を立てて回してみる。

(起きて今夢日記を書いたほうがいいだろうか?)

一瞬、悩んだ。

しかし、体の倦怠感はかなりのものがあり、僕は起き上がることを保留する。

代わりに、体勢が悪くて悪夢を見たのかもしれないからと、体を横向きにした。

枕元の携帯電話を手に取ると、時刻は3時55分と表示されていた。

布団に入ってから2時間ほどしか経っていなかった。

しばらく、起き上がるかどうか考えていたが、光という刺激をこんな夜中に感じても疲労を重ねるだけだという結論に達した。

思考は自分の健康問題についてしつこくこね回していたが、そのうち再び眠りについた。

二度目の眠りでは悪霊に襲われることもなく、僕は10時までぐっすり眠り込んでしまった。

起きてみると、生死の可能性は事故の可能性を考えてもいつでも五分五分なのだから、と割り切って考えることができた。