卑怯な人間/侏儒雑観
24日夕刊の日経の波音で、通り魔が女子供や老人と弱いものばかり狙うのは、卑怯卑劣だと書いていた。・・・と思う。(追記:「卑怯」ではなく「卑劣」でした。訂正します。臆病ではなくて劣っているほうでした)
こういう言はよく見るけれども、見るたびに首をかしげる。
要は、やることがちいせぇよ馬鹿、ってことでしょ?
じゃあ、強いものを狙えば執筆氏は納得できるのか?と。
それって大規模な自爆テロくらいやってみろよってこと?と。
なんかこう、強いやつほど高ポイントというイメージですか?そっちのほうがよっぽどゲーム脳くさい。
弱いキャラはポイント低いから、それを狙っての犯行はゲーム脳的な主役キャラへの同調とみなすのは違和感がある。
これはむしろ自分で倒せるレベルで数をこなすという戦略なんじゃないの?
ゲームではこういう戦略をとらせるようなシステム作りはあまりしない。カタルシスが弱いからだろう。
そんな弱いカタルシスしか視界に残されていないような卑屈な人間を、さらに卑怯だと煽る今のマスコミは却って犯行へと向かわせているようにしか見えない。
というか、犯行時にそんなこと考える余裕がある犯人なんてほとんどいないだろうから、結果的に逃げるのが遅い女子供老人が被害にあってるってことじゃないの?
それらは卑屈なのであって、卑屈な人間は卑怯な手段なんてなんでもない。
主役になれないから悪役になろうとしているように見える。
それもゲーム脳かな?それとも漫画脳?
今、各方面で一線を張ってある方々はライダーごっことかしたと思うんだけれども、例えるならライダーごっこに望んで悪役をやっている人間が現れている状況だよ。
それは、ヒーローがいて、悪役がいて成り立つ劇なのだけど、悪役に希望者が続出するのは、以上では?
マスコミがヒーローを気取り、それに対立する悪役もノリノリの状況に見える。
そしてヒーローは悪を根絶やしにできると思ってる。
そんな劇的で単純じゃないでしょ、社会って。
原因はそれぞれあるんだろうけれど、街行く人を皆殺しにしてすっきりしたいと思うほどに社会関係に問題を抱えた人間ってのは確実に数パーセント存在すると思う。
そんな連中をしっかりケアして追い詰めないようにしないと、困るよ。
僕も困る。
こういう報道の形に触れて思うのは、他人を殺したいと思ったことがある人間って、僕が思っているよりもはるかに少ないんだなぁ、ってこと。
口では簡単に、それこそ冗談でも「殺す」なんて言うくせに、方法論まで思考を膨らませる人はごく少数なのだろう。すごく意外だ。
中学生の頃、毎日そんなことを考えている時期があって、どうやってやるのか?誰からやるか?先生がいない休み時間かな?血で動揺してしまわないようにするには?視覚はなんとかなっても匂いを我慢するのは難しいか?吐いてしまって自分で止めそう。その前に体力がもたないだろう。やっぱ無理だな。むしろ返り討ちにされる方が簡単かも。それでもいい。でも、めんどくさいし我慢すれば、なんとかなるかも。
なんて。
考えてたし、ときどき突発的にぶり返すけど、それってどれだけ普通じゃないのかってことが身に摘まされるように感じられる。
はったりの「殺す」なのだったら、あんなに真剣にとらえて怯えてたのが馬鹿みたいじゃないか。
うそつき。
うそは卑怯だ!
こういう思考法がなかなか心の根っこから取れないから困ります。
よく考えれば分かる。そんなに殺しあってたら社会が成り立たないって。
でも、人間って疲労すると理性なんて働かないし、感情的になることがあります。
また、理性ってのは社会性の所産であるから、コミュニケーションが減少すると減退するし。
そういう理性の波から来る感情の露出を抑えるゆとりが、社会にも個人にも必要なのだと思いますよ?
どうでしょうか?
(追記)
では、どういう報道が必要かというと、加害者予備軍を加害者にしないための取り組みはすでに始まっているはずで、また、精神科医や心療内科医はこれらの事件に関してどのような対応がとられるべきかの見解もあるはずで、そのあたりの話を報道しておけば、類似の事件が発生した際には「前回はこういう対応がとられているという話だったけど、広がってないから云々」ということになる。
そういう政策的な変化を促すような報道が次第に減っているような気がして、それは報道が第三権力としての立場を捨てて、自ら権力構造に同化していっているように見える現況とよく合致する気がするのだ。
それも、違う意味で怖い。