生源寺眞一『農業再生』岩波書店/読書感想

東大に所属する農業経済学の専門家の手による著。

全体的には、農業政策のマクロ経済学的な視点からの説明が多く、実際登場する農家も新規就農して新しいことにチャレンジしている事例が多かった。

何故、農地が減ったのかなど、現場視点でのミクロな視点が無いので、その部分は他の書籍で補う必要があるが、農政の大きな流れと現在位置を知るには有効な書だと思う。

以下、読みながら考えたことをメモしたものから書き起こし。

<食料自給率について>

・カロリーベースの食料自給率は40%前後で推移しているが、生産額ベースでの食料自給率は71%である。

これは、価格に対してカロリーが低い食品―例えば野菜―の違いによる。

野菜の自給率は80%前後で推移している。

自給率100%の実現は現実的ではない。

<大規模化について>

・稲作において、規模拡大による効率化は10ha前後で効果が見られなくなる。よって、1戸の耕作規模は10haまで高めるべき。だが、現状は平均1haに満たない。

・戦後の農地改革によって地主から農地を小作農へと配分した自作農主義から、1961年には集約化への道筋は立てられていた。1969年の農振法の圃場整備(これは機械化をにらんだもの)、1980年の農地法改正(貸借契約についての手続き簡素化)などがあった。

・農地は61年の609万haをピークに減少を続けており、2006年には467万haに落ち込んでいる。

<外食産業>

・1967年より段階的に進められた外資自由化によって、外食産業が興った。

外食産業の成長はバブル期にピークを迎えたが、バブル後は微減。

ただし、中食を含めた食の外部化率は失われた10年以降も横ばい傾向であり、43%程度である。

<現在の方向性>

・生産地表示などによる高付加価値化、また国際化

・10haを目指した集約化、そのための農業生産法人の推進

・認定農業者への助成制度

・これらの障害となっている部分に対応すること。

都市計画畑から見ていると、農地の減少は都市の滲出性のスプロールが始まったのが1960年ごろであり、その頃から都市部外縁部の農地から現象が始まり、1969年の都市計画法や農業振興法によって、農地と都市の切り分けと集約が試みられたが、例外規定によってスプロールは止まらず。

そして、団塊世代がマイホームを志向した1970年代後半から1980年代初頭にかけて、郊外住宅地の開発が爆発的に起きる。と同時に、農村では息子たちが還ってこないことが確定的になって後継者不足が認識されるようになる、という具合。

後継者不足とは、結局は労働者育成に不具合があったということだが、なぜそれが顕在化するのが遅れたかというと、恐らくモータリゼーションの周辺として農業の機械化が進み、省力化が進んだことで、かつては親世代の高齢化によって子弟の育成的就農が消滅したことが考えられる。もちろん、減反などの複合的な要素が複雑に絡み合っているだろうが、一面的にはそう見ることもできるだろう。

現在は、後進国の成熟化がかなり高いレベルに達しており、懸念されていた食糧問題が顕在化しつつある。一方で、先進国の少子高齢化による人口減は日本をさきがけに始まっており(ベビーブームのピークが一番早い1949年、欧米は1966年、67年がピークなので8年程度ズレあり、また移民政策の有無もある)、そのあたりの経済力のバランスがどう振れていくかについて、個人的には地産地消の方向へと収束していく方向にあると期待しているのだが、その結果として、日本の人口は減少せざるを得ないだろう。

情報化というのは結局、資源力ではなく効率性による優勝劣敗を促進するものであるように見える。それは各国の人口が大であったり小であったりすることによる影響が小さくなるのだと思っているということ。

つまり、農地は農地で良く、すべての産業において高品質化が重要となるだろうという予想。