ゲッペルドンガー/daily
絶望先生は本当に面白い。
今週はドッペルゲンガーならぬゲッペルドンガーの話だった。
人間、ふとした時にもう一人の自分が囁くものです。
「俺って何やってるんだろう?」
そうすると本来楽しくてやっているはずのことが途端に楽しくなくなってしまう。
その囁く者こそがゲッペルドンガーだそうです。
あー、あるある。
ありすぎて困る。
う~ん。
…ナニ…が一番かなぁ?
夢延長しての至福の朝寝坊も
至高の二度寝も
究極の昼寝も
「何してんだ俺は……」って感じです。
すさまじく幸せなんですけどねぇ。
ネットとかゲームもそうですね。
気がついた瞬間の空しさは絶望的。
研究している時も「何でこんな研究しているんだろう?」
勉強している時も「何でこんな勉強しているんだろう?」
執筆している時も「何でこんな妄想具現化してるんだろう?」
食事している時も「何で食べているんだろう?」
電車に乗っている時も「どこに運ばれているんだろう?」
歩いている時も「どこに向かっているんだろう?」
呼k(以下略
あ、これらはもともと楽しくないことか。
JAVAScriptも覚えようかなぁ。たくさん使うつもりはないけど将来的には便利そう。
いや、そこまで考えて「俺のキャリアにどう生きるんだよ?」って思ってげんなりしますけど。
歌っている時くらいかなぁ。ゲッペルさんが現れないのは。(こう書くと某宣伝相みたいだな。怠惰への徹底抗戦を主張するとかそういう)
歌はそこにあるものであって楽しいとか悲しいとか超越して、好きな時に出して好きな時に引っ込める自動的な感じがいいです。
喜びも悲しみも歌に溶けてしまって空気中に消えてしまう。
そしてまたまっさらな自分になる。
エ~デルワイス♪
逆に苦しいのは物語だな。
思いつくと頭の中で止まらずにしゃべったり動いたりなので、夜布団に入ってからものすごく苦労する。
「何で?」って疑問に思って、不安になっても止められないし。
溜め込むと自分が自分でなくなるような感じがするし。
何のために考えているのか分からなくなるんだけど、それは「自分のため」以外の何者かのためであるはずがなく、つまりどんな歪んだ物語もすべて僕の内側から生じたものであって、それを止められないのが自分でも気持ち悪い。
ゲッペルドンガーさんじゃなくて僕は僕を綴じ込めないと、と思う。
……いまなんかこんな記事書いている場合かとゲッペルドンガーが囁いた気がしました。
でも、ま、いーや。
しゅーちしん、しゅーちしん、おれたちーはー♪
なんたらかんたら~どうたらこうたら……覚えてないや。
あー……orz