パンと岩絵具/daily

人間はそれ自体が情報の塊だが、応用の利く何がしかを作り上げるには総体から剰余を削り取り、本質を剥き出しにすることがまず重要だ。

創るという字は立刀によって玉削ることを指し、原石から宝石部分を剥き出しにする作業を指す。

では、削られる余分な箇所とはどんな部分かというと、結局は妄想の部分なのだろう。

思考の妄想部分を削り取り、事実のみを取り出す。

殻を破って実を取り出す。

上澄みを取り去り、濃縮する。

そのほうが美味しい。

未体験の間は、いろいろな「これまでに成されたこと」を見聞きし、自分でやってみる様を妄想する。

妄想の中でなら何でもできる。

だがそれを実践してみることで、妄想が捨て去られ実が顕になる。

妄想では自分で自分を騙すことすらできる。

しかし実践ではそんなことはできない。

削りだされた結果のみが現れる。

みんなは実を粉にしてパンを焼く。

心を砕いたくるみパン。

僕は。

とりあえずあちこちに山ほどの削りカスを作ってみたが、どうやらまだまだ足りないようだ。

今も削ったものを溶いて絵の具にしようと考えている。落書きに過ぎないかもしれないというのに。

でも、いつかきれいな絵を描きたい。そんな妄想が皿に盛られたままで。

そして、二つに割れた豆粒のどちらが高価か決めあぐねている。