秋葉原通り魔事件について所感/種々雑感

秋葉原の事件。

被害に遭われた方々のご冥福、あるいはお早い回復を祈りつつ、こんな事件が多発しないような社会の構築に向けて努力を誓う限りです。

さて。

あちこちの情報源を見たけれど、犯人は本質的には普通の人間という印象を受けた。

確かに、アニメやら同人誌やらが好きで短気で短慮な部分もあったかもしれないが、彼女が欲しいと思っていたりとか普通に働いていたりとか、よほど普通だよ。

そういう普通の人間が簡単に絶望してしまえる社会構造が問題なんでは?

絶望した後に人間がとる行動なんて、自分を殺すか自分を殺す前に普通じゃできないことをやってみるかのどっちかでしょ?結局精神的には死んでるんだし。

その精神的死を回避するセイフティーネットが必要とされていて、たとえばこういうケースなら無断欠勤した理由をしっかり上司が把握してフォローするとかそういうものになる。

ただ、この犯人は派遣社員だったということで、管理責任が中途半端になっている可能性があるし、近々リストラを控えている職場に他人をフォローするような精神的余裕があるとは思えない。

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どうやら当初の報道は「飛ばし」だったようで、実際は6月末で解雇と通告あったらしい。

その上でツナギがなくなり、感情的になって無断欠勤したが後になって冷静になったら無断欠勤によって解雇の理由を強化してしまったことに気がついたとか、そういう泥沼気分だったのでは?

ついでに犯人の仕事についても追記。派遣だけど、恐らくいわゆる期間工だったのではと推察する。期間工の実情について書かれたサイトを見たことがあるけど、勤務時間の表現が似ていたので。そのサイトを読んだ感じだと期間工は組み立て機械と同じみたいな扱いで、弱い人間は人間性を失ってしまうような厳しい職場という印象だった。給料は田舎で定職につくよりは良かったけれど、勤務中は数メートル圏内に人間がおらずいたとしても喋っている暇はない、ロボットだから。そういう人間的交流がない一日を過ごした後、勤務終了すればバスに1時間運ばれて寮に送り返されて外部との接触はネットを介してのみ。休日は都会が遠すぎてあってないようなものだそうだ。

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最近、「捨てる神あれば拾う神あり」を実感することが少なくて、拾う人がいないから捨てられたらもうダメ、みたいな感覚で世の中が満たされていると思う。そういう絶望感への耐性の低下が日本の低調を加速していると思う。

それと「負け組」とか「ニート」とか「オタク」とか「ゆとり」とか、そういうレッテル貼りも良くない。こういうレッテル貼りをすることでそれらはある個人を形成する要素の一部でしかないのに、その一部が引っかかったすべての人間を追い落とすことができる。そして、言った側は精神的優位に立ち、言われた側は卑屈にならざるを得ない。この構図は差別的精神の発露以外の何物でもなくて、人間的に質が悪い、品の無い行動なのに、それを批判する人が少ない。だから下位に落とされた側が救われることが無く、報復を考える機会が増える。

そういう良くない傾向があると思う。

じゃあどうすればいいかというと、教育・育成しかないよなぁ。

しかし、会社も政府も教育が充実すると結果的に困るしな。政府は民衆が賢くなったら今みたいに簡単に政府運営できないし、会社もシステム的に内側で潰しが利かないように教育して簡単に転職できないようにして奴隷化したいし、って意味で。だから大学で学んだことは就職に関係なくなる(就職活動では自分がしてきたことをきちんと説明できる能力は見られるが、そいつが何ができるかは問題とされない。つまりコミュニケーション能力と論理力だけが試されているので専門化を目指している大学教育の方針は見当違いになっている)。

所属している個々の人間は自覚していないけれど仕組みとしてはそうなっていることに気がつかないといけないと思う。

そういう組織運営論の欠如が結局の所、労組の継続性やらに影響してるんだろうな。

少なくとも人間にはガス抜きの場所が必要です。

人間関係が犯罪の抑止に繋がるのは確か。

世代論とかなんとかかんとかでばらばらな状態だと各個撃破されるだけです。

…何によって、だろう?