情/話題
ちょうど中学生くらいから流行りはじめて、僕らの10代の頃にさわやかな歌声で人気を博した人だ。
がんで闘病中の転落死―。
どちらかというと儚げな人だったから結婚はしないのかなぁと思っていたけど…40歳か…若いなぁ。
事務所の発表って一体何なんだろうね?
捜査中なら捜査中と―……。
それから、松岡農相が自殺してしまった。
ナントカ還元水やら地元での疑惑で相当なプレッシャーが掛かっていたのだろうが、しかしそれにしても自殺してしまうとは―死者に鞭打つような言い方になるが―情けない。
恥を曝して生きる方が何十倍も辛い罰かもしれない。しかし、生きていることで人に与えられる教訓を思え。死んでしまっては何にもならないではないか。
それにしても、「仲良しクラブ」と揶揄されることが多い安倍内閣だが、この一件はそんな安倍氏の表面的な親しみやすさが仇となったように見える。
安倍首相は“仲良し”として松岡氏を庇い続けてきたのであるが、安倍首相は内閣一丸をアピールしたかったのであるかもしれない。しかし、松岡氏当人の心情には思いが至っていなかったのではなかろうか?その外向きの“仲良し”の維持のためだけに留任させられる松岡氏の心情の苦しさ。しかも、選挙を控えてネガティブイメージを避けたい時。辞任したかったものと思うが、あれだけ庇われては辞めづらい。結果―。
時には思い切って辞めさせてしまうのも情のうちである。死んでしまっては元も子もない。生きてこそ立つ瀬もあるのに、松岡氏を追い詰めてしまったのは無根拠に庇い続けた安倍首相ではなかったか?
安倍氏は情が薄い人だ、と思う。当人もそれを知っている。だからこそ、表面的に情の濃さを取り繕おうとしている。
「美しい国」とか「愛国心」だとか「再チャレンジ政策」だとか「ふるさと納税」だとか「美しい星」だとか、要は「私は心優しい人間だよ」と見せようとして、こういう心情的な政策の掲げ方をしているのだと思う。
でも、それはフリに過ぎない。
頭で考えて情があるように見せている。でも、それは本当の濃やかさじゃない。
今回の松岡氏の死は、そんなことを思わせた。本当の意味で庇っていたんじゃなかったのだ。
それにしても、何と人の死の軽いことか。
僕が言えた義理じゃあないが、しかし立場を得たのならその時に死なない覚悟を固めるべきだ。
どんなに恥をかいても、どんな屈辱を味わっても、高い立場には善悪に関わらず多くの人の支えが必要で、その支えてくれる人々の気持ちを背負っているんだ。そして、自分の跡を付いて来ている人たちが居るんだ。だから、偉くなるほど簡単には死んだらだめだ。全てを片付けて、全てやれることをやりつくして、それから死ね。
一人の命じゃないんだから。
でも、だから、一人は駄目なんだ。
その意味で、坂井さんと松岡氏はどちらも孤独の漂う人だったと思い当たったから、こんな日記になりました。
重荷を分かち合える人が居たらなぁ……。