集積回路/カオス

情報の集積を通信の進化は促進する。

では、人間というストレージが移動しなくても良くなくなるか、というとそうでもない。

脳には本能的な部分と理性的な部分があって、そして、理性的な部分はコンピュータで交換可能なわけ。なぜかというとそれは論理で成り立っているから。けれど、本能的な部分は、生命誕生から一本の糸で繋がった遺伝子から成り立っていて、それが人間の価値基準に大きく影響している。

たとえば、水の近くで安心したり、隠れられる場所が多いところを好んだり、鋭いものを恐れたり、大きな音に怯み、熱いものから手を引き、暗闇に怯えたりするような。

そういう本能の中にコミュニケーションに関わるものも含まれていて、柔らかい部分を接触させていると心地よいとか(握手とか頬擦りとかね)そういう感情は必ず受け継がれていく。

どんなに大量のデータを送れるようになっても、直接会うことの重要性は変わらず残り続ける。画面では伝わらない、顔貌の立体感、声の立体感、コマ落としされずに、リアルに伝わるもの。それはとても大切。

情報量も多い。文書はその成立過程に必ず推敲が入る。そして、伝送される場合にその推敲課程は重視されない。しかし、リアルでは、その反応速度がリアルタイムに見て取れる。対面の達人ならば相手の力を判断するには、数分話をするだけで良いそうだ(僕は無理だ)。そういう判断の場という意味でも価値は高い。

…まあ、貴重で贅沢なものにはなっていくでしょうけど。

そういう顔を合わせて仕事をすることは変わらず有意義であるのだけれど、それは必ずしもすべての人が一つ所に居なくてはならないという意味ではない。

古来より、衛生や安全の技術が都市の限界密度を決定してきていて、それは下水道の整備や上水道の整備で上昇したり、自然的要因―洪水や噴火、土砂崩れの危険がある所で低下したりする。

そういう意味でも、東京は限界だと思う。地震も近いし。温暖化でコースが変わって台風もしょっちゅう来るから、時期によってはひどいことになる。

権限は通信によって分散できる。

過去の巨大な帝国は、権限の分散で成立してきた。

ローマとかね。駅伝の設置だとか、人材育成の仕組みで優れている。「何故、巨大になりえたか?」という問いの答えは、そのまま「巨大になるにはどうするか?」という問いの答えとなる。

その意味では、敗戦直後の日本は「小さな国」になっていた。だから、少ない資源を集中的に投資する策が功を奏した。

資源ってのは、第一は人だ。時間を価値化できる思考する存在が重要。第二が鉱物とか、そういう物理的なやつ。第三が知恵。

全部集中した。そして大きくなると、それが効果を出さなくなる。分裂を求める。人間は存在するけど、人間大のアメーバは存在しない。それは、大きすぎてエネルギー効率が悪いからで、組織もそれを習うべきだ。

というのは、組織も一種の時間軸的に大きな生き物に捉えることもできる―つまり、時間軸を大きくして淘汰の過程ではなく淘汰というシステムと比較した時に、知識が蓄積されて伝達されていく様がよく似ている―ことにもっと意識を致すことが必要に思う。

もっとも、東京を例にしたのはそれが特徴的であり、日本はいろんな意味で東京のコピーばっかりが各地に存在しているので、東京を論ずればすなわち地方も論ずることができるというマトリョーシカみたいなもんで、何かしょうもないけど、だから、東京なんです。東京=日本なのが多分生態系として生存競争を生きる上で必要な生物多様性の低さになっていると思う。

それは、つまり、生物が最初は単細胞から始まって、いくつかの単細胞が融合して(集中して)真核生物になり、そこから系統樹が分化し、果ては生態系を築いたように、生態系にならなければならないんだと思うんです。

情報の多様性がその存在を価値化する。

観測者は必ず存在する。

観測者の存在しない宇宙は観測されず、存在しないことと同義だからである。

ゆえに、ある一つの宇宙は二つ以上の観測者を有する。

何故二つ以上かというと、例えば、単独の観測者が存在するとして、その意識が始まって以降、すべては彼の目の前に繰り広げられるがごとく繰り広げられ、彼の意思の有無に無関係である。よって、彼には意思が生じ得ない。

これが二人であれば、二人の間で情報が伝達される。それが意思となり、やがて観測され記録が残り始める。

生命は、環境に対して次の世代を生み出すことで、情報の伝達を行っており、ある意味、それは意思がある。

その“観測結果”は化石という形で人類が情報を読み出すことに成功しようとしている。

人間はそういう存在の一つなのである。

何のオチもない。

何か良くわかんないけど、僕は時々こういう見方で世の中を見ている。

何だろう?分野の垣根なんて初めからなくて、何かと何かが似ていると思う。というか、常に何かが何かに似ている点を探しているように思う。垣根をなくそうとしているような?

よくわかんない。それが正しいかどうかも。正しく表現できているかどうかも。

わからない。