必敗の心得/自分メモ

優れたものが勝ち、劣ったものが敗れる。

しかし、人を量る尺度は一つではない。

何かに勝ったとて、何かには劣るだろう。

だから私は常に謙虚であらねばならない。

人は一人ひとりがそれぞれの人生を歩み、それぞれの今に至る。

あらゆる経験は情報であり、唯一の情報はそれだけで価値がある。

人は存在するだけで価値を持ち、その生に意味がある。

その唯一性は誰しもが持ち、誰しもが勝っている点だ。

だから私は謙虚であらねばならない。

僕が感じる劣等感と私が心得るべき謙虚さとは異なるものであることを識らねばならない。

私は必ず敗れる。

勝つと分かっていて戦うのは意味が薄い。

敗れるかもしれない戦いに挑み、勝つことに意味がある。

敗れることを恐れないこと。敗れた時に速やかに立て直すこと。

未来だけではない。

潜在するミスは過去のものであってもそれが認識された時点で問題となる。

過去のミスは未来に跳ね返る。

だから私は心を強く持ち、動揺せずに居られるはずだ。

必敗の心得―それを心得てさえ居れば。

私は必ずしも自分が愚かだとは思えない。

しかし、誰かよりも愚かであることは確かだ。

だから、愚かであることを振りかざすでもなく、かといって、萎縮するでもなく、ただ、自分が思うように考えて、それを表現する。その過程で敗れることもあるだろう。けれど、生きているから失地は回復できる。そして成長できる。それを心得ること。

現在進行形で感情を排した行動は難しくても、過去完了であれば感情を排して記憶を評価できる。感情は常にその一瞬にしか存在せず、記憶は簡単に記録として見ることが出来る。謙虚に、誠実に自分の事跡を見つめる。そうして失点を得点に変える。

全く、私の最も劣っている点はこの心得が心の底から自然と身に付いたものではなく、あくまでもあらゆる書物から得た知識から者だという点であり、つまり、その運用に際して心のみで反応しえず脳を解する必要がある点だ。そのために速度は遅く、感度は鈍い。

それはつまり僕が心に感じるズレを補正する作業に他ならず、つまり原因は異なれど総体として苦手なことに変わりない。そしてこういうことは多い。僕は標準から外れた不思議な人間な様だから。

だから、いちいちこういう教訓を書き起こし、心に刻み込む。

(余談)

まあ、少なくとも知識や思考力はピークを数年前に刻んでいるし、過去の自分との比較の中でいろいろな面で劣ったり勝ったりと変化は生じている。冒険心や夢を見る心は衰え、社交力は増した。

そういう部分的な盛衰を刻みながら生きているんだ。

だけど、知識も思考も冒険心もいつかまた盛り返してやるぞ。

そのためには、その状況が許す限り最大限の方法でもっともっと自分を表現しないといけない。敗れた時も、勝った時も、最大の挑戦が最大の経験を生む。

今年に入ってちょっと弱気だったと思うから、メモ。