靖国問題について/時事

小泉首相靖国参拝問題についてちょっと書きます。

8月に纏まらなかった終戦60周年記事のリベンジというか何と言うか・・・。

長いので「続きを読む」に格納します。

興味があったら・・・です。

先日またもや小泉首相が九段下の靖国神社を参拝されたそうですね。

また話題になったので、「あなたは参拝したいと思いますか?」でYahoo!アンケートが行われています。

この問題について書くに当たり、僕の考え方の背景となっているものをはっきりさせておかなければならないでしょう。

ひとつは、「政治家は、現職である限りその一挙手一投足が政治的意味を持ちうる」という事です。歴史上、これに留意せずに失敗した政治家は多く、活用した政治家は少ないですから、なかなか意識するのは難しいのかもしれませんけど、僕はそう思います。

もう一つは、公的か私的かの区別を判断するのは、結局は当事者(私)では無くその観察者(公)であるという事です。これは、本人が私的だといっているから良いか、というような空気に対する宣告といって良いかもしれません。あれの公私の別、善悪是非の判断は僕ら有権者が成さなくてはなりません。

さて、僕は首相に限らず国会議員全般の靖国神社参拝に反対です。

A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝に対して、被害国である中韓の人々が反発するのは人間として当然の感情です。身内を殺した事件の首謀者が神として参拝の対象となっているわけですから、なかなか割り切れるものではありません。

このような状況で、国民の代表たる国会議員は自身が参拝することが、どのような政治的意味を持つのかに思いを致すべきです。

そしてそれは中韓における対日感情の悪化という、外交上の損失でしかありえません。

内政的にも外政的にもメリットは無い、だから避ける。そう考えるべきです。

それなのに敢えて参拝するというのは、私人・小泉にとって靖国参拝にメリットがあるということなのかもしれません。僕はそれが何なのかはさっぱり予測もできませんが。

また、「過去の戦没者を追悼する自然の気持ちと、2度と戦争を起こしてはいけないという不戦の誓い」という本人の弁も、疑問符です。追悼も誓いも必ずしも九段下の靖国神社で無くても良いと思います。

それに対する中韓の批難を、他国が干渉すべきでない云々と切って捨てるのは、あまりに情の無い、酷薄というものではないでしょうか。

とにかく国益よりも私益を優先させていると観測される事は、公人・小泉首相としての損失に当たるわけですから、よっぽど重要な私益なんでしょう。皮肉っても仕方ないですけど。

それから、今回は避けたようですが、僕の記憶が確かならば前回前々回は玉串料の記名に「内閣総理大臣」と肩書きを書いていましたよね。あれは、国の総意で玉串料出してるみたいに取られかねないので、アウトだと思います。

私人として参拝するならとりあえず肩書きは引っ込めるべきでしょう。(しかし、それ位の事に気付かない人では無い事を思うと、意図的にああしたのかもしれません。←やや邪推)

さて、冒頭に述べたYahoo!のアンケートに、僕は「参拝したくない」と回答しました。

理由は、やはりA級戦犯が合祀されているからです。

戦犯として裁かれるべきで無かった人も含まれていると聞きますが、それでも本当に責任のあった人々が含まれています。

鬼籍に入った者の罪は問わないという姿勢を否定するわけではありませんが、事かの大戦に関しては例外とせざるを得ません。開戦の決断、戦線の拡大、降伏のタイミング・・・これらがもたらした結果を想うと頭は下げられませんから・・・。

この問題は、歴史認識の差が原因ではなく(同じ認識をもつことは大切ですが)、結局は僕が参拝したくないと考えたような、感情的な部分、シンパシーの差に根っこを持っていると思います。

だから小泉首相がしている公的か私的かの議論や、追悼の仕方に他国がは無駄です。私的だから許されるという話ではないのです。

結論としては、中韓の感情に配慮せず、感情論を誘発して国益を損なった、情の薄い小泉首相が全面的に悪いと思います。

<ブログ内関連記事>

靖国問題についてはこの後に、

パブリック/社会 06/07/22 (Sat)

追悼について/daily 06/08/15 (Tue)

…でも取り上げています。(070221追記)