昔話/ヒトトナリ

酒を飲んだ翌日というのはどうしようもなく沈むことが多い。

窓の外を見て、雨が降っているのではないかと思うくらいに暗い。

この二週間くらいずっと頭の中で昔のことを思い出しているから、今日はなおさら暗かった。

中学1年生の時、僕はいじめに参加していた。

朝、登校すると机が隠されていたり、教科書がゴミ箱に入っていたりするタイプだ。

それだけでなく、トイレで水をかけられたりしているところも見た。彼女はずぶ濡れになった。

それをやった女子生徒は、水掛けを注意されたのでもっと見つかりにくい身に付ける物に関する悪事を彼女に仕掛けたという話も聞いたような気がするが、記憶は定かじゃない。

彼女は、病原菌と同じ扱いを受け、汚物と同じ扱いを受け(実際に臭かった)、豚や(太っていた)ゴキブリのような扱いを受けていた。誰も隣の席になりたがらなかった。話しかけなかった。

僕も彼女を避けた。実際、醜い顔で、なるべく目にしたくないと思っていた。今でもその評価は変わらない。僕がこれまでの人生で見た中で一番最悪の顔に生まれついた女だ。太眉で色黒でアンパンマンのように膨れて表情に知性が無かった。

僕は後で知ったが、彼女は小学校時代からある種の問題児ではあったらしい。授業中に漏らしたりとか、そういう類の事件をポツポツ起こし、忌避される存在であり続けていたそうだ。僕はたまたま小学校6年間彼女と同じクラスになることはなく、中学校に上がるまで知らなかった。他の同窓生にとっては有名すぎて知らない方がおかしい位という評価だった。そんな僕も目の当たりにして普通じゃないと思った。今だからこそ思うことだが、彼女は現在ならばしかるべき場所に行けば診断名がもらえるのではないのかと思う。なにしろ、僕程度でも投薬されるくらいなのだから。

女性の担任教師には事態への対処能力はなく、担当する科目の時間も全く授業になっていなかった。母が学校に来て直接訴えても、僕の机が無くなることも、教科書がゴミ箱に捨てられることも終わらなかった。むしろより目立たずに心に来るものになった。あまりに逆効果で、みじめなことだったので、僕は母を非難した。

クラスの中での僕の序列は下から二番目だった。いつからか僕の席は彼女の隣になり、机を1センチを残して近づけてやり、教科書が無くなった彼女に教科書を見せてやっていた。多分、記憶が確かならば、クラスがそう仕向けた。それで彼女は迫害されていないことになった。

ある日、クラスメイトはけしかけた。「ねぇ、どう思うの?」と彼女に言った。

彼女は僕のことを見つめて嬉しそうに「好き」と言った。

あまりに状況を解っていない発言だった。

だから僕は「嫌だよ、気持ち悪い!」そう言った。

何かが順繰りに手渡されてくるのを思い出す。

前の席の女は、僕が受け取ろうとすると手を引っ込めて、言った。「なんで触ろうとしてるの汚い。」そう言って、それを落とした。「拾ってよ、自分で」。僕は床からそれを拾った。

僕は同じことを彼女にした。

あの発言を後悔はしていない。今でも気持ち悪いと思っている。他に言う言葉は無かったと思っている。だが、それを正当化するわけではなく、自分が最低の人間、否、人間以外だと肯定する。彼らの設定した僕らは人間ではないという定義を受け入れよう。そして、同じくあのクラスの中身全部が最低の人間たちで、あの時のクラスメイトも彼女も、みんな死んでしまっていたら良かったのに。死んでしまっていればいいのにとずっと思い続けている。

担任は病気になったとかで秋が過ぎる頃には来なくなった。代わりに腕力に自身がありそうな男性教師がやってきて、クラスは表面上落ち着いた。あまりに静かすぎて覚えていないが、僕も彼女も教室では話しかけられなかったのだと思う。

僕のクラスのいじめは、僕が当時調べた限りの数々の最悪のケースには遠く及ばず、極めて平和的に霧消し、通常は行わない進級によるクラス替えによってクラスメイトは適度に分散されて完全に過去のものになった。人はそうやって不都合なものを無視して忘れて、表面的に付き合ってゆくことを覚えていく。自分に不都合な、気持ち悪い奴が居たら無視してしまえばいいのだ。僕以外は。

そういえば、そんな秋の日に教室で殴られた。殴られたのは初めてだった。物を隠されたりする犯人がが見えい行為や汚い言葉に対してはやり返す方法が分からない僕にも、この直接的な手段に対するは反撃の方法は明らかだった。僕は殴り返し、全くダメージを与えられず、30キロ近い体重差がもたらす現実を悟った。

でも、殴られたのはそれが最後だった。

後に、「愛のある体罰」を受けたヤツが自分の自由にできる奴にわざとヘマをやらせて「愛のある体罰」を加えているのを見て、あれはこういうことだったのかもしれないと思った。

肉体的に殴ったり、精神的に痛めつける方法しか知らない連中は死ねばいいのにと今でも思う。

細部は忘れてしまったのに、今でも時々思い出して自分が嫌になる話。