握った手

久しぶりのまともな更新は少ししんみりする話でして、すみません。


先日、祖父が亡くなりました。享年93歳でした。
1月7日に見舞いに行ったのが僕にとって祖父に会う最後の機会となりました。
風邪をこじらせて呼吸器系が弱っているので、ということで集中治療室に入っていたのですが、22日に容態が急変して……。僕以外の弟妹は、お見舞いにも行けていません。それくらい突然のことでした。

最後に祖父に会った日。
チューブをくわえた祖父の顔に髭が無かったのに、僕は少しショックを受けました。
それは、白く細く伸びたあごひげで、僕は、祖父はきっと死なずに仙人になるんだと思っていたくらいに似合っていました。
僕は呼吸を助けるためにあてがわれたその器械のために、祖父はひげを剃られたのだと寂しく思いました。(尤も、これは実は僕の誤解で、白髭は入院よりもっと前に祖父が自ら剃ってしまっていたのだと、葬式の時に知るのですが。)


祖父は両手にグローブを着けられていました。それは、祖父がその人工呼吸器を嫌がり、時々目を覚ました時に外そうと手を掛けてしまうのを防ぐためとのことでした。看護師さんは、「ご家族が看ていらっしゃるなら」ということで、それを外してゆかれました。そして、僕は母と二人で、眠っている祖父に声を掛けることにしたのです。

祖父は入院以前からだいぶ頭の働きが弱くなってはいました。
挨拶に来た僕を認識するのですが、毎回同じ話をするという状態でした。前に同じ話をしたことを憶えてはいないが、伝えたいことがあることを覚えている。そういう状態。
病院で会った祖父は、時折顔や目を動かすのですが、こちらを認識しているという様子をなかなか見せませんでした。眠りの中で身じろぎするような、はっきりしない動き。
僕はグローブから解放された手に手を伸ばしました。

手はすっかりむくんでいて、ひと目には赤ん坊の手のようでした。
ですがそのぷっくりとした指や甲は、鬱血していたり、皮膚の色はずいぶんと錆びれてしまっています。手を握れば、肉の弾力ある柔らかさではなく、皮膚の下に水を詰めたような柔らかさがあります。
指は頑なに握られていて、指をひとつひとつ広げながら僕は手を握りました。

赤ん坊の掌は、触れたものを反射的に握ろうとします。これを把握反射と言うそうです。
他の者に頼らなくては生きていけない赤ん坊は、縋るものを逃がさないようにできている。
でも、その把握反射は成長するにつれて薄れていき、大人になれば無くなってしまいます。
そして、不意に手を触られると驚いたりするようになる。
手には神経が集中していて、特に手のひらは柔らかくて、さまざまな手作業に使う重要な部分だから、守るために敏感なのでしょう。
だからこそ、その手に握るものは意識して握りたいものになるし、手を握られた時には強く感情を呼び起こされることになる。

父方の祖母が入院していた時も、手を握ると嬉しそうにしていました。
僕の手は身長にしては大きくて、あまり手作業をしない暮らしをしてきたので、柔らかいんです。
だから、僕は祖父の手を握って、堅く握られた指を揉んで行きました。

母も同じようにして、二人で呼びかけていると、うつらうつらする感覚がだんだん短くなっていきました。そして、ようやく薄く開かれたその目が僕を認め、いつか祖父の寝室を訪問した時と同じように、「おう、よう来た」と応じようと口を丸く開きそうになった、のですが……。
でも、人工呼吸器が喉に入ったままではそれも難しく、祖父は顔をしかめて首をひねりました。
僕は、「大丈夫、言いたいことは解るから」と声を掛けて、笑顔をつくりました。
僕には、この後に祖父が喋りたいことはだいたい分かっています。
皇居へ献上する稲を刈った話など、祖父の父や親戚が立派な人だったことを伝える話です。

年老いてボケると同じ話を繰り返すとは言うけれど、それはとても大事なもの、心の中で一番繰り替えし思い浮かべて、伝えたいと思ってきたことなのでしょう。祖父は僕と母を見ると、その先祖を見習うように、と伝えたいと繰り返し思ってきたのでしょう。
だからそれは、忘れているのではなくて、憶えていること、なのだと思いました。

そうして、また、疲れた祖父は眠りについて、僕と母は手を放して、祖父に別れを告げました。


葬式の日、母が言いました。
「おじいちゃんは病院に入る時に、『娘は福祉の大学で教えていて、その息子は九大で博士になったんだぞ』と言ってたのよ」
母は短大を卒業しただけで、僕も九大の博士課程を退学してしまいました。
でも、じいちゃんの期待は、そういう姿だったのです。

……今の僕の姿とは全然違うけれど、祖父が見てきた立派な親戚たちの裔になる僕に、そうなって欲しくて、語らなければならないと思っていたのでしょう。

でも僕は……手を握ることしかできない。
無力で、非才だ。でも、まだ生きてる。だから手を握っていられる。

昨年から、結婚や出産の話が僕の周りに多くて、だから思ったんですよね。
そうやって伝えられるものがあるのだから、その握った手を離さんようにしときーや、って。
うん、そういうしんみりした話。