3月12日(土) 第2日目

この日は、主に原発事故の問題が大きくなってくる。

原子力発電に対するスタンス

僕は
「不安な技術だが、現在の電力需要では利用せざるを得ないだろう。50年以内に自然エネルギー省エネルギーを進歩させて、段階的に全廃の方向が望ましい。50年以内に地震災害の確率は高いが、技術によって被害を最小限に食い止めることは可能なはずだ」
というスタンスでした。
理解の程度は、「一応、"5重の壁"がある」「チェルノブイリは安全装置を外した人為的事故の要因が大きい。また、現代は鉛を使った炉から、水を使った炉に改良されている」という位の認識ですね。

福岡在住なので、最寄りの原子力発電所玄海原子力発電所ということになります。見学には都合4回行きました。ドイツ語の講義で1回、土木の講義で1回、仕事のために1回、仕事で1回……カオス。
ドイツ語の講義は、ドイツ文化理解ということでした。ドイツと言えば反原発緑の党が有名ですが、実際のところフランスから電力を輸入しているということでした、当時は。今は輸出超過になっているのかな?フランスが原子力に力を入れているのは、自給率の問題もあるかもしれませんね。
土木の講義は、原子力発電所の規模になると土木が建物を建てるからです。
その後、JCOでの事故があり、「バケツっておまえ……」とかなり信頼が目減りしていたのですが、仕事関連でオフサイトセンターを見学しました。
オフサイトセンターはJCOの東海村での事故を反省し、原子力事故への対応を行うための施設として設置されています。テレビ会議のための設備等、力が入ってると思いました。また、総理大臣も参加しての総合避難訓練を、毎年、各地の原子力発電所の持ちわわりで実施していることを知り、個人的にはかなり信頼を取り戻していたわけです。
詳しくは、「国が主体となって実施する原子力総合防災訓練」をご覧ください。
僕はこれを初日か最初の三日間程度の緊急態勢と捉えていました。その間で決着が付かなければ、作業員の被曝線量もあることだし、がっちり埋めてしまうものだと。

しかし、ここまで訓練とかやっといて、こんなことになるとはなぁ……。
どうしてこんなに事態が悪化したかについては、Reuterの懇親のレポート「特別リポート:地に落ちた安全神話─福島原発危機はなぜ起きたか」が詳しい。「想定が表面的だった」の一言に尽きる。

……さすがに官業の関係にまで詳しくはないですから、原子力についてもこんだけ甘い関係になっていたというのはがっくりです。……いや、土木業界の関係を敷衍すれば想像可能だったか……。しかし、事故が起きた時のダメージは土木も凄い*1原子力はうっかりじゃすまない。工学出身ということで技術者へのシンパシー、国Ⅰを受けたことで官僚に対するシンパシーを持ってる僕の疑う心が鈍ってしまってた*2。政治も何をやってんだって話です。そして、政治をコントロールできていない市民も……。
結局、縦割りなんですよ。「市民は働き、政治は政治家に」という考え方も。「市民は働き」というところで、住む世界が自分が属する業界に限定されてしまい、業界内での問題解決体質を許容することに繋がる。例えば地域活動などで、業界の垣根を跨いだ連帯感を持っていれば、もっと違った社会になったのかもしれません。欧州では、まちづくりなどで地域のコミュニケーションが重ねられています。政治もその延長上なんですよね……。個人主義というのは、公の中での自立を意識したものであり……。

話がだいぶ逸れました。どこまで戻したものか……。
門外漢ですが技術的な理解の話をしておこうと思います。
「5つの壁」という表現ですが、僕はこれは5つもあるように感じていなかったのが正直なところです。ぶっちゃけて言えば、安全の話で制御棒等の話が中心にならないのが不可解だった。
ペレットと被覆管は一体という認識だし、原子力圧力容器と原子炉格納容器は同じ鋼鉄製なので、ここまで耐熱という意味で一つの構造、原子炉建屋が別で二層、岩盤含めて三層かな、という位。これで説明になってると運営者が認識しているのが不安だったと言えなくもない。
加熱による水蒸気爆発が怖いのですが、「熔融する前に排水すれればいいかな。管路破断の場合は建屋に排水設備を作れば……」と勝手に思ってました。融けたらそのまま薄く広がれば反応薄まるだろうし、水蒸気爆発さえ起きなければ放射性物質が巻き上がることもない、と。水素爆発の認識はなかったです。
雑ですけど、見学して僕が想像した「壁」はこんな感じでした。
地震で冷却系にトラブルが発生した場合に備え、地震動の検知と共にロックが外れて制御棒が上から自動で降りてくる(横や下から挿すのは機械的なので困難な場合があると思うので。地震動で制御棒や燃料棒に歪みが生じても大丈夫なように余裕を設けるのはたやすい)
②冷却系にトラブルが生じた場合には、制御棒が効いている内にロックを外して燃料棒を制御棒ごと下へ抜き取る(上へと持ち上げたりするのは困難な場合があると思うので)
③回収した燃料をバラして空冷から開始し、水冷へと移行する。(水冷に動力が使えない場合を想定して、ポンプ車からの注水を受けられる構造にする、最悪の場合まるごと水浸しにできるように水密性を保っておく)
……全然違ってましたね。大雑把な性格だからなぁ。緻密な考え方わからない。
流体や気体になって物質を運ぶ水が無い方が安全だ*3、と思ってました。
まさか抜かずに水を掛け続けて冷やすとはなぁ。
耐震の講義で地震動についての仮説として「直下型では垂直方向の応力の振幅、すなわち圧縮応力と引張応力が交互に生じる可能性がある」というのを聴いていたので、構造が複雑*4な冷却系が常に保全されるという前提は危険だと思っていたのです。だから僕は自然に壊れる前提の想像をしてたんですけどね。というか、津波だろうが整備不良だろうが原因を限定せずともシステムの部分ごとに、それが壊れた時の想定をするのが技術者の良心だと習ったのですけどね*5

水を入れたままだったら、できることも限られるからなぁ。
もちろんコンクリート造の建屋に亀裂が入る可能性もあるので、燃料棒が取り出せない場合には融解に備えてコンクリートを建屋内に流し込むとかするのかなぁ、とか考えることはいろいろあるのですが。耐熱に関しては、溶岩流が大丈夫だし、コンクリート中の水が蒸発してくので建屋内は圧力が増しますけど、蒸気に含まれる放射性物質は爆発で散乱されるよりはよっぽどマシかな、と。
うーん、やっぱり門外漢の想像力は及ぶべくもないですね……。水で冷やすという発想はなかったわ。

もちろん、見学の際に「冷却に大量の水が必要だから海水を見込んで海に臨んで立地している」という説明も受けましたが、それは平時の運用の話であって、このような終局的状況に至ってまで水が必要という認識ではなかったです。
思い込みの安全神話って怖い。

現実の流れ

ハード的には、まず自動的に制御棒が挿入され、当面の時間稼ぎは完成。ソフト的には、原子力災害特別対策本部の設置。ここまでは手順通りだったと思います。

僕はこの数日、避難について勘違いしていたんですけど、最初の10km圏内は自主避難とかだったんですね。僕は最初っから10km圏内は無人にするものだと思い込んでました。思い込みの確認不足。
被災地になっていることだし、避難は訓練通りではありえないですから、それでも過剰な反応ではなかったと思うのですけど……。というか、10km圏内に避難所が設定されてたりしなかったですよね?なんか当たり前すぎて確認するの忘れてましたが、この体たらくならそういうこともありえるかも……。

それから、「電源車が移動中」という報道が釈然としなかったです。電源なくても消防車のポンプを直結とかできるやろ?と思い込んでいました。そんくらい想定してるだろう、と。電源が必要とはなぁ。電気が必要とか、どんだけ脳天気。ていうか、結局消防の力も借りることになったわけですが、最初に全部の手段を手元に置いておきたいと思わなかったんかな。なんかこの辺の後手後手感はよく分からんです。

「海水を入れたくない」というのは、すぐに感じていました。金属の配管に海水入れたらどうなるかなんて、考えるまでもなく想定すべき事象が複雑化するんでやりたくないし、まず設備の総入れ替えで大変なコスト増になることは明白。
制御棒で1日の猶予ができたわけですし、電源車の到着まで海水の投入は待てると思いました。そしてそのまま就寝。

翌朝はイベントで午前中は全く情報に触れることができず。ちらっと菅首相が現地視察をしようとしているという報を見ましたが、「特別措置法でテレビ会議を想定しているし、何より余震や二次災害の危険がある現地にこのタイミングで最高責任者が赴く愚を犯すはずがない」という過大評価をしておりました。……というか、これは最低限持っているべき責任者としての認識だと思うんですけどね、違いますか?

そして、最初のベント。
ベントについては、
政府、後手の対応 首相視察が混乱拡大との見方も(産経 2011.3.12 23:21)」において、

しかも首相が12日朝現地を訪れ、1時間近く視察したことは現場の作業を遅らせる一因になったとの指摘もあり、責任を問われかねない。

と産経が報じる一方、後日に
世界が震撼!原発ショック 悠長な初動が呼んだ危機的事態 国主導で進む東電解体への序章|Close-Up Enterprise|ダイヤモンド・オンライン」において、

菅直人総理がヘリで現地に飛び『ベントしろ』と言った。吉田所長の背中を押しに行ったんだ」(政府関係者)

という記事が出るなど、情報が錯綜。

……僕は両方が真実を含みつつ、発言者の立場からの認識のズレと敢えて語らない部分があるのではないかと思います。
「ベントが必要」という認識は、現場レベルでは数値が上昇している途中の段階であったはずです。それは現場から経営陣には上がったはず。そこから官邸に情報が行ったのかどうかは不確定。首相がどのタイミングでベントの事を知ったのかも不確定。そして、「首相が現地を訪れるために首相訪問終了までベントが留保された」ことは確定。
問題は、現場からの見解を対策本部として受けていない、一体性の無さに尽きます。ロイターの記事にも描かれていましたが、東電は問題を自社内に限定しておこうとし、政府側は責任を取りに行かなかった。両者の思惑が一致したその隙間に判断の責任が落ちてしまった。それがベントの遅れに繋がったと思います。

この日も仕事だったので、原子力保安院や官邸の会見は確認していないのですが、反応を見る限り上手く行っていないんだろうことは分かりました。平時から、池上彰氏くらいしか分かりやすい報道をできないってのに、緊急時にそんなことができるはずがないですね。この辺りについては、まだまだ社会を改善していく必要があると思いました。

Twitterを見ていると、冷静な学者さんや分かりやすい話ができる人はすごく多いのに、テレビに出る人はどうしてあんなに分かりにくいですかね。困ったものです。
NHKの解説委員氏も必ずしも一般市民にとって分かりやすいか、というとそうでもない。あくまでも彼らはニュース原稿に解説を書く、という立場なんだろうなぁと思いました。
これから科学がより専門家・先鋭化を果たして行くならば、それを市民やあるいは官僚・閣僚に説明するための「科学コミュニケーター」を職業として確立するのは必須だと思います。今までは、官僚や閣僚でも大学程度の学力で理解し、対応できる範囲だったかもしれません。しかし、今そこにギャップが生じています。科学コミュニケーターが幅広い分野をカバーし、非専門家と専門家とのコミュニケーションを担当することで、広報や解説を兼ねるだけでなく、幅広い学際性を活かして科学技術政策に対して提案を行ったり、大学や研究機関の運営、NPO組織などの運営を行っていけるようにならないかな、と思いました。

……それって、阪神大震災の後に、ボランティアコーディネーターが役割として認知されたのと似ていると思います。明確ではありませんが、NPOとかもこの役割を担っていますよね。
一般市民では被災地支援に動くにしてもどう動いたらいいか分からない。だから、専門の人間が知識を蓄積して中間管理を行ってスムースにする。この流れです。

被災市町村以外の行政の支援の動き、民間の支援の動きはこうした災害支援を組織の機能として取り込んだ結果であったと思います。対応、ものすごく早かったですよね。
そして、ウェブのお役立ちサイトの増加・進化も目を見張る勢いでした。
これは、落ち着いてからそれぞれの評価を行って、行政が仕組みとして取り込んでいくべきですね。この後の話になりますが、行政のサーバが落ちまくって情報に接することが難しい場面もありました。ミラーサーバの連携など、きちっとマニュアルに定めたいところです。


……また、話が逸れてしまいました。

あとになって考えてみれば、このベントが必要になっている時点で事態は決断を要求しています。
しかし、東京電力は事態を小さく小さく見せようとしていました。「事故は大きく想定して、小さく収めなければならない」それが工学の絶対の前提です。ベントは音に聞こえる、目に見える形で情報を広く提示しました。この時点で「事態を小さく見せる」ことに既に失敗していました。ここで開き直って前提に立ち返れば、本当にもっと小さく事態を済ませることができたかもしれない。
報道においても、最初に事態の最悪の想定を伝えていれば、そうならないように手を打つように促す動きが明確になるのは同じでも、もっと落ち着いた反応が見られたかも知れない。
自社へのダメージを小さく見せようとするあまり、却って自らの立場を危うくしてしまった。

それは官邸も同じ。
東電に責任を一任することで、ダメージを小さくしようとしましたが、対応の甘さという結果に繋がった。
経済産業省もそうですね。副本部長職に経産省から人が入っているはずですが、役割を果たせたとは思いません。
原子力保安院もそうです。
これだけのプレーヤーがそれぞれの思惑で動き、原子力災害特別対策本部として一体になろうとしていない。全く、頭が痛いです。それは個であって国ではない。

……とか何とか思ったのは後日の今の話で、僕は13日の時点でもまだ「想定訓練のケースかそれより悪い」くらいの状況と考えていました。ですが、14日にはもう信じる力はだいぶ減っていきます。
これ以降は、原発問題についてあんまり語ることはないですね。
「もっと早く外部の支援を受け入れていれば」
「もっとオープンに情報を公開していれば」
「もっと早くに思い切った避難勧告を出していれば」
こればっかりです。

特に、避難に関してはもっとやりようがあったと思います。あくまでも自主避難という姿勢を貫き、政府の責任を軽減したいばかりで、避難所が一杯で自主避難が混乱した状況に対応で来ていませんでした。
もっと極端に避難命令を出せば、他の地域もすぱっと受け入れを表明したでしょうし、爆発で飛散した放射性物質が市民から検出されるという避けるべき事態が避けられたと思います。

それから、人員管理がひどいと思います。
交代要員の数字が全然出てこないのが、技術者の健康状態を心配する身として非常に不満です。
「〇〇の人員を交代として用意している。専門知識に応じて作業内容の想定はこれこれで、何日までの対応を考えている」……とかね。まあ、こんな発表ができる時点で、事態の進捗に対するシミュレーションはだいぶ今よりもマシなのですが。なぜなら交代人員の限界が、終局的手段を打つタイミングの目安になるからです。
クレーンでコンクリを打てるので、放水車が近づけるレベルなら十分チェルノブイリみたいに死兵をつくる悪夢にはならないと思うのですけど。
これは16日にツイートしたことだけれども、九州電力管内の原子力発電所を一つ二つ停止して、専門家を派遣するというのも手段としてあったと思うんです。原発の型には詳しくないですが、福島原発と同型機があるならそれだとなおいい。疲労が判断力に与える影響は大きい。2号機は「安定しているという思い込み」と、「人員が足りないので計器から離れた」この2点の重なりで問題が深刻化しました。この他にも数値の読み取りミスを原因とする発表の訂正も多いようです。
安定した対応のための人員確保を考えなかったことは今後大いに反省すべきです。
……今回の事故に限らず、日本の組織は労務管理に余裕がなさすぎる*6。僕が接した範囲でも、自衛隊員の過労死のニュースが1件、被災地の行政職員の過労死のニュースが1件。日常から休むことに対して否定的であるからこそ、非常時にはますます休むことが出来ずに無用の犠牲*7を生む。
もうこんなの止めにしとかないと……。

疲労

2日目から、これは原発対応に限らない話ですが、あらゆる関係機関の疲労が見え始めます。「#edano_nero」は象徴的でしたが、Twitterでも自粛とか不謹慎とかで諍いが目立つようになっていきました。
笑いは疲労と緊張から一瞬開放してくれるし、音楽は気持ちを逸らしてくれます。子どもの姿とかも落ち着きを与えてくれるんで、そういうものに触れる機会を報道機関が意識してくれると、こういう諍いを減らすことができるのではないか……と思うのですが……*8

実際は、その報道の方から疲労を見せていきましたね。
「あー、なんか笑えてきた」「本当に面白いね〜」
……。
本当に苦しい時って笑えてくるんですよ。自分自身をストレスから開放するために、行為で認識をすり替えようとするんです。
「もういいから休め」なんですけど、実際、報道で思うのは「なんかこの人出ずっぱりだな」ということ。報道の予算を削ってるってのは本当なんだな、と思いました。
一次情報に触れている裏方の人のPTSDなんかの話題も出てきましたよね。
TV関係のデタラメな労働環境については、よく目にします。友達が少ない僕も耳にします。そしてTV関係者らは誇らしそうにしているような気がしますが……。

効果的な報道とは何か?理知的な説明がすべてではない。理知的でいられるような状況の確保、それが大事なんです*9
USTREAMニコニコ生放送で流れることで、コメントによる補完などもあったと聴きます。
内憂外患では、TV局の寿命を縮めるだけだと思うのですが……。

……話がどんどん逸れていく。やっぱりダメですね、僕は。この辺で止めにします。失礼しました。

*1:19世紀にはトラス橋が動荷重でバラバラになったり、20世紀前半にはダムが決壊して下流の町がなくなったり。

*2:しかし、僕が会ったことあるそういう人たちって結局メインストリームから外れたところにいたか……。僕が信頼するようなタイプの人が出世しない世界ということも知っていたはずなんだがな……。

*3:土木なので上下水道工学で汚染水の問題や生物濃縮、水循環も学ぶので、水圏に接触しないことが最重要と考えがち

*4:ダムや橋梁に比べて十分に複雑という意味

*5:一応、技術士補の資格は持ってます。筆記だし一般常識的な問題だから楽勝

*6:2週間風邪をひっぱっている僕を含めて

*7:「犠牲」という語はケモノ偏で、使いたくないのですが

*8:みんなのうた」は流していいんじゃないかな、と思うんですよね……。

*9:大事なことなのでテーマを2回繰り返しました