3月11日(金) 第1日目

認知

まず社内で「地震が起きたらしい」と話題になりましたが、聞き流しました。東北沖は地震が多いですし、社内で大きな話題にもならず、私も仕事に没頭。
それから「東京も揺れた。かなり大きいらしい。津波注意報も」という話になり、そこで僕も情報をYahoo!でチェック。この時点でM8.9。津波の予報は広い範囲に到達済みで最高10m以上。

僕はほんの少し魂消た。それから、考え始めた。
記憶では最大級の堤防でも津波の想定は7m。だから高くても10mくらいで作られているはずだ。それに対してこの津波はどう考えても大きすぎる……そう思った僕は、マグニチュードもそうだけど、津波の規模が信じられなかった。

知識の基は、津波を扱う港湾工学*1スマトラ沖以前だった。
津波の記憶が忘れられ、海岸付近への居住が進んでいるという話もそこで聴いていた。

だから、瞬間的に「死者5万超えもありえるかもしれない」と思った。
すみません。悪い数値を大きめに見積もるのは、工学部時代の……いや、もっと前からの癖みたいなものです。何故なら、その方が、実態が判明した時のダメージを和らげやすいから。そういう人生哲学なのです。
実際、3万前後という数字は、後に解った状況からすれば、学者が予想を超えられて無力となった中で、本当によく逃げてくださったと思いました。

後は祈るだけ。「逃げろ逃げろ逃げろ」。
津波の記憶が忘れられ始めている」。これは初動の避難の遅れに繋がるかもしれないと思った。
だいたい普段話していてもフツーの人は50cmの津波に対しての認識からして甘い。自転車の全速力くらいの速度で2リットルのペットボトルのケースが1列になって飛んできて足払いをすると考えてくださいよ。しかも転ばせた後は引き波で沖へと攫っていく。
そのレベルでも怖いですが、10mとなると別格。水の壁……という表現も薄そうに感じますかね……水のビルがそのまま横移動してくる……これでも生ぬるいか。というか、今や多くの映像がYoutubeなどにアップロードされていますので、想像力を使う必要もないわけです。ぜひ、映像でご確認していただきたい*2

だが、地震直後の僕は想像力を使うしかなかった。映像で巨大津波を確認したことがなかったから。
巨大津波の映像がこれほど多数の記録されたのは、初めてのことだと思う。もちろん、知見として役には立つけれども、これらの映像の背景にもっと多くの映像を撮ろうとして亡くなった人があることを忘れられない。「好奇心は猫をも殺す」というが、「自分だけは助かる」という無意識の増上慢は確実に人に死をもたらす。絶対の安全を期して欲しかった。

ただ、この時点では、津波教育の発信地であることと、行政・消防・警察の実直な仕事ぶりと、住民の小心さを、信じて、祈っているだけだった。

デマ

落ち着かないのでTwitterを見始めた。東京の情報は多いが、現地の情報はなかなか見当たらない。というよりも、つぶやきからだけでは発信地が分からない。

そんな中で、あのサーバルームの件のデマが繰り返し現れ流れていった。
引っ込み思案でフォロアーが少ない僕では対応不可能な拡散状況。とりあえず、

デマ流すなよ。デマかどうかを確認する作業に消費するリソースがもったいないんだよ。その時間で人一人救えるかもしれないんだよ。絶対にネタにできないんだからな。

……とつぶやいて、自らの無力感を慰めてみたが……。つくづく無意味だったな。じちょう。
16:54にも

まず、ツイッターを見る余裕がある人は、たとえ1mとかでも津波警報が出ている場合は水際を避けること、現地への直接の電話ではなく災害伝言ダイアルを使用すること、あと、帰宅困難になる可能性もあるので帰宅経路の確認ですかね

……とか恐る恐るつぶやいてみたり。

この時間は、東京が落ち着いた後、帰宅困難が認知される以前ということで、Twitterは有益な情報とデマが入り交じった混乱状態だった。
ま、この辺の私の小心はryoshihiraのTwilog(3/11)を見返してみるとよくわかる*3。もっと勇気を出すべきだったのかも知れない。でも、3回くらいリプを飛ばすので精一杯だった。もっと踏み込まないといけないな、自分。

デマが凄まじい速度で拡散する中、ITmediaなどに災害用伝言板のまとめ記事が出たり、GoogleMapを利用した帰宅困難者受け入れ施設地図が作成されるなど、ソーシャルネットワークサービスが効果を発揮しだしたのは心強かった。「阪神の時とは違う」そう思わせてくれた。
それから、有名アカウントの威力は確かに凄かったけれども、価値の評価が難しい情報が含まれていたりして、混乱を加速する面もあった。そんな中でNHK_PRさんTMR西川貴教さんはすごく輝いていたなぁ。NHK_PRさんのUst独断承認のツイートは本当に仕事場でぐっと来た(Togetter参照)。こういうリテラシーを多くのマネジメント的地位、報道関係にいる方々に持っていていただきたいと思いました*4
しかし、この辺の情報の取捨選択についても、急速に認知が広まって行った。これはとても評価できることだったし、受動的な僕も動きやすかった。

退社は遅かったけれど、ほとんど地震情報で集中できていなかったから仕方ない。仕事終わんなさすぎ。
東京に連絡を取ろうと電話を掛ける人の説得が大変だった。……たとえ家族でも「気持ちは分かりますが、無事なら後からでも連絡が取れます。」と言える自分は冷酷なのかな……。
帰り際に「200人ほどの遺体か」というニュースを誰かが読み上げ、社内の数人が胸を痛めていたが、僕は(こんなもんじゃない)と思って、「とにかく、朝にならないと被害は分からないと思います」と曖昧に話していた。

その後、12日も2時頃まで起きていて公式RTや情報収集をしていたように思う。
そして3時頃、仕事もあるし寝ることにする。*5


そして、12日から原発の問題が徐々に台頭し始める。
(一旦、ここで切ります。)

*1:海岸工学だっけ……?どっちかがイマイチだったんだっけ……忘れた。

*2:リンクしようと思った気仙沼の動画が削除されていた……。困ったな

*3:あー、なんか哂えてきた。自分ちっちゃいなぁ

*4:つまりちょっと傍ら痛かった。「え?それ流しちゃうの!?」みたいな……難しい。

*5:……11日だけでこんなになって……大丈夫か、自分?