西尾維新『クビキリサイクル』講談社文庫/読書感想
うーん、天才を隠すなら天才の中、か。参りました。でも、俺は割と人間の平等さを信じてるんだ。才能は欠陥によって購われる。
書こうと思えば普通に書けると思うんだけど、そうしていない感じがするクセのある文章。
玖渚友を受け付けない人は多いだろうなぁ。
続いて、語り手の「戯言」が受け付けない人がもっと多いだろう。
そして、そこかしこに「オタクの常識」みたいな感じがちらほらと。
すっごい微かな痕跡なんだけど、それもワザとだろう。
そういうワザとらしさを気にせずに、そういう作者の篩にかけようという意図に逆らったものか、あるいは意に介さないものだけを相手にしてペテンにかけようという作品。
なんか、推理小説を読み慣わしてくると、密室トリックってどうにでもなると思ってしまうんだよなぁ。
例えば、極端な例を上げれば流水大説。いや、あれを引っ張ってきたらどんな推理小説も色を失うけど、メフィスト賞受賞ってのはそういう業を背負ってしまうよね。
で、肝心の答えはどうかっつーと、それは……まあ、できないわけじゃないけど、危険な賭けに過ぎるだろう。
もし、計算ミスでふにゃふにゃになってたらどうすんの?
っていうその辺まで含めて、運命が味方したとでも?
うーん、とにかくトリックが絞れないし、犯人に意外性はない。
確かに、真の動機は意外だったけれど、犯人が露見したときに並べた「食べるため」なんてのに違和感を抱かないほど愚かではなかったよ。
しかし、まさかねぇ。
いや、そのためにわざわざ孤高になるんだろうけれど……。
なんというか、天才だから孤高が許されて、孤高だからこういう犯罪が成り立つというのは、現実的ではないと思う。
不連続なんだよ、ここに描かれている天才が。
同じ天才でも、同じメフィスト賞作家である森博嗣が描く天才たちは、順繰りに犀川を経て真賀田四季までを埋めるように連続的な才能の階級差として描かれている。そして普通の人も同時に描き、高いピークに合わせて砂山の裾野も広くとってある。そこで違和感を減らしている。
この作品にはそれがない。だからどこか非現実であるし、ちょっと思考の努力を放棄したくなる。
会話も博識ではあるけど、あまり凡人の発想をでないしなぁ。いや、そうでもなかったかな?1週間前だからわすれてしまったぞ。
うーん、だって、サヴァンってこんな感じだっけ?ていうか、工学のサヴァンってのが想像できない。よくわかんない。その時点でちょっと放棄したい。
サヴァンの例っていうのは、超記憶とか超計算とか、論理を介さないことで超速度超精密を実現することにあって、工学ってのは論理を持って非論理的事実に取り組むものだから、ものすごく相性が悪いと思うのだ。
ああ、機械語を使うと言うのはアリかもしれない。しかし、機械語でファンクションを実現せねばならない、ということを理解出来るか?というのは、レアケースだと思う。それはサヴァンじゃなくて通常の意味での天才じゃないかな?
うん、まあ、専門でも何でもない僕が書いたってしかたない。
そういうリアリティの評価は出来ないことってこと、そして、単にミステリーとして楽しめるレベルに有ること、ということくらいか。
あとは、西尾維新というキャラクタが現代に現れる意味だろうなぁ。
こういう作品が受け入れられるということ。
それを直感した編集者。
西尾維新にとって天才とは何なのか?これもまだ解っていない。この作品では「天才」というツールをいじくりまわしたに過ぎない。だが、もっと意味があるはずだ。それは最強の請負人を観ていくことで感じ取れるはずだろう。
その辺に興味がある。
ので、続きも読もうと思う。
現時点2010.6.16で『クビシメロマンチスト』まで読了。続きは未入手です。
『クビシメロマンチスト』の感想は、また明日。