デイブ・ペルザー『“It”と呼ばれた子』ヴィレッジブックス/読書感想
ああ、暗い感想を書いた。気を付けて欲しい。続きをあまり読んで欲しくない。でも、これが僕の素直な感想。
これを読み終わった人に訊ねたい。
「これを現実と受け止められましたか?」と。
私にとってこれは現実ではない。
体験することはできない物語でしかない。
私が知っているのは、「人がこうなりうる」ということだ。
僕は思い出す。
あの埋めがたい距離。理解の隔絶。拒絶。僕からの永遠とも言える逃散。
膜のかかったような世界。ぎりぎりと締め上げてくる空気。
その中で同じように拒絶されていた人間を、僕は「容姿」という本人にはどうしようもないものを根拠に彼女を拒絶した。
その瞬間、僕は僕を拒絶していたあのアイツらと同じに、非人間的な拒絶をした。
本当に、心の底から気持ち悪いと思った。そして突き放して、後悔を感じなかった。それを当然と思った。
僕はその自分の行為を許した。僕が周りにされているのと同じ行為を、自分がすることを許した。
最低最悪だ。
人間は残酷なものだ。
僕は、大したことをされたわけではない。
せいぜい私物を隠されたり、汚されたり、存在を無視されたり、それなのにちろっと突き飛ばされたりしただけだ。
それも殴り返そうとする勇気さえあった。まあ、半分くらいの体重では何の効果もなかったが。
だけど、それが原因で人間に興味を持った。なぜあんなに残酷になれるのだろう?と。
ひどいイジメの事例をいろいろと見聞きし、読み漁った。まるで我が事のように思った。
ほとんど、それが自分の体験かのように記憶した。だからあんまり実際に受けた迫害の内容に自信がない。混同している可能性があるからだ。
そして自分を慰めた。
「僕よりもひどい扱いを受けている人がいる」
それは勇気づけられたというよりも自分よりも下層の人間を見たという安堵だった。
その上で彼らの味方をするつもりで、いじめる人間たちに想像の世界で復讐をした。
バラバラに切り刻んで、破壊して、擂り潰して、焼き尽くした。
その時、その対象は人ではないんだ。だから、何でもできる。
そういう僕と同じ人ではないモノに向けられる憎悪があった。
その憎悪に似ている、この母親のものは。
人を焼いて、脅して、爛れさせて、支配したい。支配したい。支配したい。すべてを綺麗にしたい。綺麗になるだろう。私が、ナイフやバーナーを用いれば。いびつなところを切り取れば滑らかになるだろう。肉は焼けばおいしそうな良いものになるだろう。その眼をこちらに向けるな。怖い。何を信じているのだ?私を見るな。私が見えてしまうから見るな。
私は私が残酷になりうることを知っている。だから、これは現実なのだとすんなり受け止められる。
そしてあまり感動しない。
生きている。そう、作者は生きていて良かったね。
生きる人は生きて何かを為す。生きられない人は死んで、何も残らない。それを知っている。
僕は生きている。生きているから、この本の言葉たちはもっと死にそうな人たちに活かされるべきなんだ。
こういう慰めが必要な時期は通り過ぎてしまったんだ僕は。
私が抱える事情とこの人の事情は異なる。だから届かない。
だが、似ている。
寂しさと愛情と憎悪とやさしさが重なりあうことなくすれ違い、心を車裂きにしようとする。
ただ、受け入れられた瞬間の喜びを我が事のように喜べる。
いつか受け入れられることを信じられる。
それは素晴らしいこと。
人の残酷さを知り、自分の残酷さを知ること。
そうすると優しさの質は変わっていく。
変わっていくが、すぐに変わるわけではない。
デイブだって、最初の彼女には偏った見方をしたんじゃないかな?
パッツィは確かに待つことができなかったかもしれない。にしても、そこまで悪い人には見えないよ。
ただ、他者への依存性が高くて、それが合わないと見た周囲の目が確かだったというだけだ。
まあ、一度で上手くいかないことを非難するわけじゃない。ただ、デイブの側からだけの一方的な見方では、読者も偏ってしまうだろうと思っただけだ。それは公平じゃないよね。
公平!
公平であって欲しいと思う。でも、バランスをとるには上から下まですべてをまんべんなく見る心が必要だ。
そのための、最低の一つを読者はこの中に見ただろう。
いや、もっと下はあるのだけれど、とりあえず先進国を構成するにはこのレベルでいい。
人身売買やもっとひどく宗教的な慣習の問題などは、国際的な関わりのレベルで認識されるだろう。
だから、知って欲しいと思う。
ずっと読まれていくだろう。
まだ、それは解決していない。
きっと今もどこかで人と認識されない環境にある人がいる。
子どもだけじゃない、老人だけでもない、大人も、そうだ。
だいたい、人を何だと思っているんだ?
それをもっと話しあえよ。
そして現実に直面している人にはこう言う。
「人は弱い意志のもとに簡単に残酷になれる。だが、強く気高くやさしくあることもできる。願わくば、人を受け入れる心の余裕を持てますように」
そうありたいと思うのだ。
そういう感想。
(2010.03.21記)