SQUARE『Final Fantasy Ⅶ』(1997)/ゲーム感想

クリアしました。

ラスボスを倒しただけですけど。

だって、いや、あの砂漠のアレと海中のアレが残ってるけど、なんかめんどい。

クリアした直後の感想は、

「あれ?これで終わり?(´・ω・`)」

って感じ。

なんか、完結してないよなー。

そして何年後――って終わり方の失敗例すぎる。

10代をターゲットとした創作作品は、多くの場合、アイデンティティを主題にしていて、RPGが世界の危機からの救済を目的にするのはレベルを上げて強くなるべき理由付けの一つなんだと思う。

けど、この作品の場合、その二つの結びつきがちょっと弱い。

クラウドアイデンティティの問題は、ラストバトルの前に解決してしまっているんだ。勝敗の前に変に達観してしまっているところが描写されている。それはたぶん、ラスボスを倒しても世界を救うにはもう一つの関門が残されているからなんだけど、その関門ってのが描写が弱くて脚本家の中から表現されきっていないんだよ。

それが問題。

詳しくはネタばれして書く。

さて、メテオを破るホーリーの発動には星の意思が必要だ、という流れだったと思う。

つまり、セフィロスを倒すことは星が裁決を受けるための準備に過ぎない。それを覚悟しての達観だったでしょ?

そのへんは、たぶん、ホーリー発動の前にCGでエアリスの描写があるんだけれど、脚本家の中では星の意思の「滅亡派」がセフィロスで、「擁護派」がエアリスだってイメージになっていたのだと思う。その設定で、ホーリーの発動はエアリスだけど、最後に星から魔晄の光が集ってメテオを打ち砕いたのは「星の意思が守ってくれたよ」という意味で、それでハッピーエンドは描ききったよ、ってのが制作サイドの認識なのだと思う。

うん、わかりにくい。

ていうか、白タイツ姿にしか見えないセフィロスとの対決の入り方とか、半裸のセフィロスに究極リミットぶつけるバトルとかの所で、もうちょっとセフィロスとエアリスが何か意思表示すればわかりやすかったと思うんだけどな。

ていうか、やっぱりストレートにハッピーエンドを描いて欲しいよ。

Ⅴみたいに。

ひとつには、クラウドが復活するイベントに全力を注ぎすぎたんだと思うな。

あれが過程ではなくてひとつの到達点になってしまったから、ラストバトルが惰性になってしまったような感じ。

Ⅵとかは、ケフカを倒さないと未来がないのと、ケフカを否定しないとティナの存在が危うくなってしまうところの一致があったと思うんだ。というか、たいていのRPGはそこに焦点がある。

そこがズレてしまったのが問題だよなぁ、と思う。

いや、あのクラウド復活イベントはすごく良かった!あれは屈指の名シーンだと思うんだ。かなりRPG慣れしてしまった俺も「おー!」って思ったもん。

あと問題は、戦闘の演出の長さ。魅せるという以上に、だるい。ラストバトルのほとんどの時間が演出だったぞ。

あのコマンドを急がされるピリピリ感がいいのに……。俺にとっては。

まあ、いいや。

CGアニメーションは確かに良かったけどなぁ。でも、それが中心じゃない。

CG映画で失敗するまでもなくプレーヤーの視点で観て、反省して欲しかったかな。

勿体無いキャラクタが多かった。

ケット・シーとか、神羅の社長とか。

極端な話、セフィロスが社長だったらもっと面白かったかも。大空洞はもぬけの殻で、ラストバトルは神羅ビル。メテオが落ちる先としての美しいのはエンディングで証明済みだし、そこから脱出して振り返るってのは演出的にオイシイ。

ウェポンは、ダイヤウェポンだけ味方とか、そんなんにすればロマン砲台の出番を残せるし。

キャラクタで面白かったのは、シドかな。あのエンジニアのロマンには、共感した。

あと、バレット。こいつが狂言回しになってる。ケット・シーは明確にそうなんだけど、バレットはひたすらクラウドの決断をやたらと推しまくってそれでクラウドセフィロスへの執着の異様さを薄めている。

こういう狂言回しもアリなんだ、と思った。

総括。

けっこう面白かったけど、残念なところも多かったと思います。