痴漢問題の話

無駄な前置き

ジャーン ジャーン
げぇ!アリムゥ!
もしくは
ジョインジョインアリムゥ
……な気分なのですが……idコールありがとうございます。ひ…yoshiです。

「痴漢問題を論じるうえで - キリンが逆立ちしたピアス」のブックマーク( ⇒http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20090420/1240206976 )に僕が付けたブコメ

yoshi1207 [性], [犯罪], [社会] 男性は毎日グレー未遂に直面し、女性は一度の黒を経験して毎日それを恐れる。だからそれぞれグレーの冤罪裁判と、起訴されない黒事例とに注目が行く、と思う/過密に付随する問題と都市工学出身は考える 2009/04/22

について、id:y_arimさんから

よろしければ都市工学の観点から記事を書いていただけないでしょうか。後学のために。 2009/07/31

……という、コール頂きましたのでちょっと掻かせていただきます、頭を。

まず逃げの手を打っておきますけど、僕はいかんせん学術論文なんてひとっつも通せなかった不面目な院生で、コメントも単に「都市工学の学生だから都市の問題と捉えるよね」ってくらいの意識だったのですよ……。もうほとんどいろいろな記憶を忘れてしまいましたしね……。まあ、そんな奴の駄文でよろしければ、がんばります。

ざっくり整理

詰まるところ、諸々の車輌内における痴漢犯罪というのは、密着性あるいは閉鎖性に問題があることが多いと思います。詰め込みすぎ、ということ。
司法がしっかりしていればいいという意見は多いですけど、密着状態ですし、それなりに犯人も警戒するでしょうし。限界はあると思います。というか、限界があるからこそ、被疑者と親告者の二項対立みたいになってしまっている現状があると思うのです。

そういうわけで、犯罪抑止は機会を奪うことにあるという基本に立ち返るわけです。

密度を下げるという案については、料金を上げるとか、ピークをずらすとかそういうのが出ていますけど、現実的ではないのだろうと思います。料金は需要と供給のバランスで成立し、現実に存在する交通需要を捌くにはこの価格と乗車率で均衡していると思います。
ピークの時間を動かそうにも、それは労働慣習の問題ですから。人間は朝起きて昼働いて夜は休むもんです。技術屋ならともかく人と会う営業は昼に動かないといけないですし(夜の営業はもう止めにしましょうよ)、それはそうそう動かせない。
では、過密の問題は措いといて、機会からの隔離はどうか?女性専用車両の導入も、路線が複雑に絡み合う大都市中心では「乗り継ぎのために○輌目に乗らなくちゃいけないんです!」なんて人はそれを無視してしまうでしょう。

じゃあ逆に極端に、「人間全部は善良であれ(それ以外は、死刑あるいは種々のレッテルによって抹殺)」というのは、あまりに殺伐としている。それはそれで人倫を傷つけると思います。

社会改良家

こういう構図を見ていると思い出すのが、「ハワードの田園都市理論」というのが我ながら業が深いことと思いますが……。
1900年前後、重工業によって悪化する都市環境を憂いた社会改良家ハワードは、人口を数万人程度に限定し職住近接とゆとりある住環境を実現する田園都市理論を提唱し、1903年には実際にレッチワースという田園都市の建設に着工しました。
詳しくはWikipediaでレッチワースの項とかを見てきてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9
画像検索もしてみるといいと思います。いいところらしいです。
http://images.google.co.jp/images?q=%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9&lr=lang_ja&oe=utf-8&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wi

ところで、「重工業によって悪化する都市環境」と書きましたけど、当時は公害以前に下水の整備が不十分なままだったので汚水の害が主として認識されていました*1。なお、この時代の住環境を読み取るには多分『ジーキル博士とハイド氏』なんかが時代的、舞台的に適切かもしれません。また、過密が人間精神にどのような影響を与えるのかについて、作家が先鋭的に反応した一例としてみることもできるような気もします。『シャーロックホームズ』*2切り裂きジャックも同時代ですね。

閑話休題
つまりは、人権意識の普遍化の中で、改革ではなくて資本家による改良によって、継続的に働ける状況をつくることが社会の利益になるよね、って実例をつくったわけです。

日本の場合

このレッチワースの成功は、近代都市計画の発展に大きく影響し、日本の戦後都市計画にも影響を与えました。田園都市、あちこちにありますよね。
また、日本の都市計画はバージェス*3の「同心円都市」の影響も受けています。両方が混ざった感じでしょうか。
核となる都市から、中心街>工業地帯>緩衝帯>居住地帯という同心円の居住の外縁に田園都市を配置する計画ですね。東京から20キロとかで円を描くとだいたいあってるかな、と思えます。
しかし、東京は国民自身が鮨詰め電車を許容したこともありますが、鉄道交通網を発達させて、その同心円上の各都市を独立させず、ベッドタウン化して労働力を吸い上げる様態を取ったわけです。

その結果がこの人権の衝突ですよ。

人口密度というのは、人権意識が許容する限界まで高まるものです。僕は鮨詰めの黒人奴隷貿易を思い出します。あるいは、人権がより蹂躙される戦時を忌避して長洲に町を築いたヴェネチア*4

商行為はなんでも値札にしてしまうものですが、価格と実感がずれが生じることはよくあります。価値の評価が不完全です。特に個々の感性が関わるとなおさら難しい。
交通事故ならば衝突のエネルギーは誰にも平等ですが、痴漢のダメージを共感することは難しく、その評価はばらつかざるをえません。

こういう状況に反発する意識があるというのは、大変よい傾向と思います。

それは多分、疲労からくる自制心の目減りとかいろいろ思うんですが、本筋と関係ないですね。

じゃあどうするか?

多分、自然とどうにかする。

……というのはあんまりにも偉大な先人に対して見劣りするのでもう少し書きたいけど、明日があるのですみませんがとりあえず今日は寝させてください。

状況としては、ストロー効果などで東京に吸い上げられてしまってきた地方の体力が限界に近づいているということ。これは、今の行政のシステムが巧妙に部分還流の仕組みを作ってきていて、市町村会は反対しているが、主要な地方中心都市*5は体力があるうちに道州制に移行して中心的役割を果たしたいと思っている節がある感じとか、その辺から思うのです。
東京のシステムは、若い人を吸い寄せて、対面での信頼関係をたくさん築きやすくすること、また、消費行動の近い層を一度に処理することで大きな効率を得るところにあったわけですが、たまさか趣味趣向の細分化も進んでいますし、それをネットの情報流通革命とPCの情報加工技術革命とが細分化した各個を情報発信源とする方向も強いですし、そこに食い込むオタクビジネスやらなんやらで、その情報発信のための時間を確保するために、定時で帰ろうぜみたいな、そういう方向があるんじゃないですか?
そうなると、東京じゃなくていいんですよ*6

気が付いたら福祉都市になっていたりして、ということ。

あとは、地震のリスクとのタイムアタックみたいな。まあ、地震が起きたらおきたで大きく舵が切られることに変わりはないと思います。被害は雲泥の差と思いますけど。

寝させてと言いつつなんかだらだら書いてしまいました。
やっぱりこのくらいが僕の限界です。
魅力的な回答じゃなくてすみません。

どうにも僕は大変質の悪い学生だったし、「東京ってのはひでぇ仕組みの町だ」と田舎者としてなんとなく嫌いで*7まだ歩いたことがなく、実情がどうだか知らないのが書いていて非常に痛いです。

真摯な質問に対して、しっかり答えられなくて申し訳ないです。
頭が三つくらい欲しい。

*1:この辺の都市工学と下水道工学の発展は連動しているはずと思うんで、横断的に教える講義があると面白いと思うんだけどなぁ。

*2:シャーロキアンじゃないので語れないのが悔しいですね……

*3:頁岩ではない

*4:都市計画では軍事も無視できないと思うんだけどなぁ

*5:やべ、用語が都市計画学会的に正しくない気がする

*6:京アニだっけ?

*7:現場も見ずにこの言は良くない。単に人が多いのが苦手なだけなのもあるし