【5月9日の】はてブもうひとこと

下手なコメントをしてたのでid:eye_at_5000mさんに応える意味でエントリを起こしています。

はてなブックマーク - Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。 - yuubokuの日記 - 断片部
に対して、5月9日の3時ごろ僕が以下のコメントをつけました。

yoshi1207 ブックマークを削除する コメントを編集する 倫理, 国際, 性, 文化 女性のモノ化を問題視する視点か/自由度の高いゲームはツールと化して、倫理的問題への責任を製造者から消費者へと移転するものかも。「GTA」も「カスタム少女」も悪い使い方もできる。MMDやアイマスすら

最初に考えたのは、当然ブクマ対象エントリを読んでの「女性のモノ化を問題視する視点か」という反応なんだけど、そのあといろいろ考えてはいました。

そもそも創作は現実から複雑さを削り込む

まず、そもそもゲームは有限のプログラムで記述するしかないので、人間を登場させるにしてもある程度人間らしさを削ってモデル化しなくてはいけない。その過程で人間らしさは減って、モノ化していってしまうのは仕方ないのではないでしょうか。
無双系のゲームなどは特にまるで雑兵がゴミのようなわけですし、ゲームは、というか、ゲームに限らずこういう簡略化は創作物には避け得ないものだと思います。
コミュニケーションをゲーム化しているはずのギャルゲやエロゲや乙女ゲーもそのモデル化を行うわけですから、ほとんどが妄想の範囲を出ない非現実的なものに終始し、登場人物をモノ的に消費しているという見方をされることはとても避けようがないと思うわけです。
その中でも、もっとも登場人物のモノ化が著しいのが、今回俎上にあげられている痴漢モノに代表される陵辱系のエロゲなのだろうと思うわけですが……。ぶっちゃけた話、僕が体験版とかやった経験としてあれらを受け付けないと思ったのは、プレイする中で人間らしい精神を抜きにした、性的な反応をする機構としての肉体の描写が中心となることなんです。それは、女性だけでなく男性もそうです。最終的には、女性の精神的自立性を消失させ、また、女性の認識から男性器以外の男性の人格的部分は失われます。それって、モノ扱いすると同時に自分をモノの位置に貶めていないか?と思うわけです。それを強く認識させるから、僕はちょっと受け付けなかった。

しかし、それは二次元萌えの消費感覚の根っこにあるものにつながるのかもしれないのです。
よく言われる……というか僕自身思う「三次元の女はめんどくさい」というのは、コミュニケーションのめんどくささによるところが大きいです。それは、人格を尊重してほしいという思いをぶつけて、受け止めてもらえる確率が今すごく低いと感じられるからで、だから脳内なのでコミュニケーションが完結する脳内嫁が大流行しているのだと思います*1
でもその脳内嫁というのは、自己という人格が内部に考察するモノであるか、あるいは自己の人格の一側面そのもの――つまりは変形の自己愛――でしかない。それは、現実的に他者をモノ扱いする危険性に近づいていないでしょうか?

そういう意味で、あらゆる創作物はモノ化の批判を避け得ないのではないかという疑念が沸き起こったわけです。
この辺、どう消化したらいいかはまだ考え中です。

批判を回避していく自由度の高いゲーム?

そういう考えに至った時に、思い出したのは最近の3Dエロゲです。
あの3Dエロゲってのは、ツールでしかないからこういう批判からは逃れうるなぁ、と。
「結局、使い方次第」という文句が通用すれば、こういう表面的なストーリーに対する批判は封じ込めることができる。
たとえば、「らぶデス」を引き合いに出して、初音ミクの登場初期、MMDみたいに手ごろな3Dツールがなかったので、このエロゲで外見をカスタマイズしてミクに近づけたモデルをPVに使っていた例を出してもいいです。

そういう結局使い手しだいだなぁという発想が、スラッシュ以降の「自由度の高いゲームはツールと化して、倫理的問題への責任を製造者から消費者へと移転するものかも。「GTA」も「カスタム少女」も悪い使い方もできる。MMDやアイマスすら」という部分は、こういう多様な受け手側からの要求に応えつつ、多様な批判者たちからの批判を回避するためにゲームは想像の余地を増やしていくのではないか?みたいなことを思ったんです。

そこに、

eye_at_5000m エロゲ, 人権 id:yoshi1207 「MMDやアイマスすら」 なるほど、あれも女性キャラを操るって点で女性軽視と見ることもできるのか

という形でidコールとコメントをいただきました。

なんか、僕にはそういう意図はあんまりなかったですけど、結局そうかもしれません。
もともとパイタッチだってあるし、そういう所有する側面があるにはあるのだろうけれど、僕がこのコメントを考えていたときに思い出していたアイマスは、破廉恥に使えるデバッグモードが見つかったPSP版なんですよね。あれは、なんていうか、まあ、知らない人はググってください。
しかし、実際プレイしたこと無い人にそういう風に語られるのはアイマスファンの方にとっては不本意だろうと思うのですよ。それはアイマスファンにごめんなさいしないといかんな、と思いました。ましてや、MMDユーザをや。いや、違うかたとえプレーしていたとしても、かもしれない。すみませんでした。

ていうか

そもそも、痴漢問題を批判するとすれば痴漢モノビデオは無視できないと思うんだよ。痴漢ゲームなんて、ゲーム性を盛り込むために現実的な手段とか現実的な反応を削っているだろうけれど、痴漢ビデオは僕個人の観測数は片手にも満たないんだけど盗撮モノの氾濫ぶりも考慮すると一定数の現実的手段を伝えるものがあるだろうし、そこからそういう痴漢側の情報を共有する方法へと近づくことはネット時代には難しくないと思う。
それと、痴漢と痴漢冤罪を減らすには犯罪事実があいまいにならない状況をつくりだすこと、つまり通勤電車の過密、ひいては東京の過密を解消することが重要だと思うのです。
だから、この問題は、痴漢問題とは切り離して、創作の意図の問題として捉えたほうが志向としては面白いと思う。

あと、
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090507-OYT1T01111.htm
ここのコメントに書いたけど、

yoshi1207 ブックマークを削除する コメントを編集する 国際, 倫理 全ての創作はその内容の実現を推奨するものであると考え、心理的代償とは考えない人もいる、という話か。必要なのは駆逐ではなく、人目につく場所からの排除。ウェブは客層と品揃えのギャップが広がってる

という、そういう情報に接触する機会の問題になってくるんだろうと思う。
今やネットは、一般人のものなんだと思う。

結論がない……

なんだかまだもやもやしていますが、今考えているのはそういうところです。
一貫した考えもへったくれもなくて非常に申し訳ない感じでございます。
ブコメの面白いところは、100字で収まらない時に自分はそのブコメの対象について全然考えがまとまっていないと気づきやすいところです。
だから、100字以内に収まらないときは全部を消して無言ブクマすることにしているんですけど、どうしてもお酒を飲んで帰るとコミュニケーションを欲するのか無言でいることができなくて、こういう仕儀になっちまうんですよね。
自分内ルールを守りそこなったー、という感じです。

長い割に内容が無いエントリなんですけど、そんな感じです。
つーか、下手なコメントを発端にして、下手なエントリを書いてしまったんではなかろうか……?
……。
寝よう。

*1:まあ、現実に恋愛する時だって結局は自分の脳内イメージに相手の女性を当てはめて恋をしている場合が多く、「イメージが違った」みたいなことを言って別れるケースは多いわけですが。