甲野善紀×茂木健一郎『響きあう脳と身体』バジリコ株式会社

あっつい……じめじめする……。

感想ね……あのね、俺は茂木氏の言ってるクオリアがなんのことやらさっぱりなのだが、

それってさ、つまり、知覚したことに意味を見出そうとする力の延長上にあると思うというか、

相手が言っていることに意味があると考えようとするそれを延長して意味を見出そうとする力を養うことをクオリアを育てるとかそういう風に言っている気がするというか、

巷ではモギーは脳科学者と呼ばれていて、それは理論畑に居るみたいな世間の認識だけど、この人の軸足って哲学に近くて、その哲学は論理学みたいなガチガチの理論じゃなくて、世間に対して語る工学的なポジショニングをしている。

工学というのは理論と違って、現実社会の利益になる実装が最重視される。

甲野氏がロボット工学に親しみをもって語るのは、つまり、甲野氏の身体の運動も、ロボットの運動も実装=実践を重視するから。

この点、クオリアを実践するものとして取り扱おうとするモギーの感覚は工学的だと思う。

だから、頭いいとは思うけど、同時にちょっと違うんじゃないかな、って思うところは多い。

今、ニーチェ読んでるんだけど、これもちょっとなぁ。

途中だけど、これは認識論っていうよりは、時代的なモノが強い気がするんだよ。

ニーチェを引用する時代じゃなくね?

ま、いいや、対談の内容は……なんていうか、桜井章一・甲野善紀『賢い身体バカな身体』講談社とダダかぶっているところが多いっす。

学校教育をもっと歴史と国語と体育で良いっていう甲野先生の提案は、俺は反対かな。

てのは、論理を学ぶのを、国語にする?数学にする?って感じ。てか、まあ、芸術ってのを作ってくださいよ。

ていうか、文部科学省をさ、純粋な論理的な学問と音楽や演劇や文学みたいな文部と、実践を重視する工学とに分割して欲しいよ。こいつらは目指す豊かさが違うから分けるべき。

そんなことを思った。

あー、駄目だ。駄文だ。