オイゲン・へリゲル『日本の弓術』岩波書店

大正15年より弓聖・阿波研造に弓を学び、4年間の稽古によって五段の免状を得たドイツ人・オイゲン=ヘリゲル氏のドイツでの講演を翻訳したものである。

ヘリゲル氏は哲学が専門ということで、東洋的概念に対して思索的に接近していく過程が読み取れる。

しかし、肉体的な動きの感覚は西洋的――というよりも、近代的なものが抜けるまでに苦労したようだ。

ここで西洋的という言葉を近代的に言い換えるのは、日本だけでなく西洋自身も自覚するように、近代的精神の発露をもってして、現代まで続く西洋的考えの始まりと考えるべきと思うから。

全身で弓を引き、腕で引くのではないという感覚の中で、腕の筋肉は全てではなく一部ですむようになるから自然と緩む。

近代的な考え方では、古典力学を用いて考えると、腕の筋肉で弓を引き絞り、肩や背筋はそれを支える支点になるために硬直する。つまり、直接弓に作用する筋肉は腕だけで、他の筋肉は身体を剛体にするためにある。

日本的力の使い方は、というか、多分、「スポーツ」ではなく日々の労働で身につく一番自然な身体の使い方は全身を使って全身に疲労を割り振る方式。

「スポーツ」と強調する意図は、つまり「スポーツ」もまた近代的思考の産物であると思うから。てのは、市民の娯楽ではなく、上位の階級の人々が余暇に、きっちりと紳士的ルールを定めて「スポーツ」するようになったのが、近代の開始と重なると思うから。

その辺の時代的精神というのは、同源だと思うんです。

さて、日本的身体の使い方では丹田が重要になる。この丹田というのは秘術でもなんでもなくて、単に身体の重心であるから進化の過程で全身の筋肉の力も集中する中枢になっているというだけのこと。これは人間だけでなく全ての、――あ~、なんだっけ前足と後足を腹側に抱えるようにする生物(哺乳類の、特にウサギやネコなど)――には共通していると思うけれど、重心を中心として身体をひねったりした動きなどをできるために必要なことと思う。つまり、支えがない中空(落下中だけでなく地面を蹴って走っている最中)でも、体重が集中した重心を中心として前足と後足をひねったり、逆に手足を協調させて重心を動かしたりできるということ。

つまり、足の力を重心を通して背中に伝えたりするときに、重心がしっかりしまっているかが重要になる。そしてそこから、背筋を開く動きで肩を広げて、その中で腕で引く。これが全身の動き。

近代的には、力は足から背中を一直線に通って剛体になるためにあるから。背中を使うのが難しいのではなかろうか?俺は弓は素人なので実体験としてはわからないけど。

ヘリゲル氏はこの過程を藁束への射で十分に習得してから、次の段階に移った。

ここから精神的な問題、つまり集中した状態へどうやって入るかという問題になっていく。

それは、的が大きく感じられるようになるというだけでなく、的と一体化するというような話になり、また、射ると思うのではなく射るという感覚の段階へと至る。

というのは、おそらく、弓を射るのに不十分な状態では、その不十分な箇所が気になって集中できない。つまり、身体へ、特に射るための腕に、指に意識が取られた状態であって、その腕や指の準備が整ったとしても、実は最後に目の準備すら残っている。だから、まずは腕を意識しないこと、目と身体に同時に意識を持ち、目と身体とが一致した瞬間に弓を放つというパターンを身に着けることだと思う。見えたと思って放っても身体の準備ができてなくては不十分。身体が整ったと思っても目がしっかりと捉えていなければ不十分。そういう不一致を避けられた時、目は的をしっかりと捉えているから大きく感じられるし、身体は精確に的へ向って動く。

その反復が感覚を拡張していくと、おそらく闇夜での二射すらも達成できる。

つまり、目で捉えることと身体の一致だけでなく、道場の門をくぐってから的の前に立つまでの動きの全ての感覚を蓄積して、等しく再現できるようになることがすべて。

それは、超人的ではあるが神秘的ではなくて、自分の身体への感覚を研ぎ澄ますということから離れてはいない。

その内省が近代に足りないものであろうと思う。

ヘリゲル氏が論理性を意識しながら興味を持って身体に働きかけることで、実にすばらしいスピードで弓道の進歩を遂げたということは、外に対して論理的であることと、内に対して感覚的であることは両立し、それはお互いに助け合うことができるという感じがするな。

面白かった。