ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』
アンドロイドやロボットに限らず、意図的に人間に近いものを描くとき、そこには作者の人間観が現れてくる。
ディックは、人間らしさを共感する心と考えていたのだろう。
人口の減った世界で、強い共感を得るための「共感ボックス」に人間が浸りきり、アンドロイドはアンドロイド同士で気遣いあうこともなく自身の欲求を優先する。
作中のアンドロイドはすごく人間くさくみえる。
しかし、ほんのわずかな点で、やはり共感からくるやさしさを獲得できていないのだ。
アンドロイドたちは孤独であると感じるにしても、それはシンパシーを欲しているのではなく孤独の論理的不利を不安視しているのだ。
だが、人間の孤独への不安も、突き詰めていけばそれは孤独の論理的不利を恐れる気持ちであったはずだ。
それが、まわりに人がいても孤独を感じるようになったのは、コミュニケーション能力の過剰な進歩なのかもしれない。
しかし、その人間らしさが良いのだ。
主人公・リックとレイチェルの関係と、ラストシーンとの対比が美しい。
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すっごい質が高いよ!