綿矢りさ『蹴りたい背中』河出文庫/読書感想
『インストール』を読んだのがもう半年前かぁ……。
という個人的な感慨はさておいて、読んでみました。
えー……こちらが前作『インストール』の感想なのですが……
僕はこの「リアル感」をどう評価したらいいのかわかんないんですよね。
こういう、煮え切らない青春ってのをどう評価したらいいのか。
典型的なボーイ・ミーツ・ガールものを現代風に描いたという平板な見方はいくらでもできる。
うーん……『インストール』もそうなんだけど、男の子は変化が始まってしまっているけれど、女の子は変化の予兆があるという程度の段階で物語が終わってしまう。
それは、僕としては面白くない。
男の子は幻想に遊んで、幻想がぶち壊れて、新しくなる。
女の子は?どうなんだろう?
女の子は、体の面からどんどん大人になって、性的なものが“リアル”に体に影響し始める。それをどう自分の中の自然現象として取り入れるかという段階にあるにもかかわらず、社会はそういう知識を却って女子中学生や女子高校生から遠ざけようとする。あるいはそういう意識が強すぎて教え方を誤ったりする。さらには、男がその幻想に巻き込んで傷つけたりするし、傷ついたりする。
そういう状況にあって、“不真面目な”女の子は自ら踏み込んでいってしまうのだけど、“生真面目な”女の子は取り残される。
そういう、扉は認識されているんだけど開かれない感じがある。
もっと足を動かせばいいのに、と思うのだけれどそこまでの勇気がない所で止まっている。
それが、綿矢りさの書く女の子だと思うんだよね。
同時受賞した金原さとみは違う。
こっちはいってしまった人を書く。そして、いってしまった中から再度振り返って考えている。
そういうものを描いてる。
僕が推定するイメージ的には、金原さんと綿矢さんの間にももう一種の女の子(ケータイ小説とか)が居るし、金原さんから綿矢さんを挟んだ向こう側にももう一種(あるいはそれ以上)の女子が居ると思う。まあ、そういう分類は、どうでもいいけど。
とにかく、市場が分裂していっていることを端的に示した芥川賞ではなかったかなと、後から評価してみる。
綿矢りささんとしては、もう一皮やぶる必要があるんだろうな。きっと。
長谷川がにな川をもっと本当に求めて蹴って、それで決定的に拒絶されたりしたらきっと新しい世界が見えてくるように。