三崎亜記『となり町戦争』集英社文庫/読書感想

となり町との戦争は主人公にとって突然に始まり、そして緩慢に終結を迎える。

主人公は本当にこれで戦争によって失うことを知ったろうか?

文庫化に際して加えられた別章の方が、本編よりも短くてもずっとしっかりとこの作品のテーマを伝えている。

ひとつは、戦争が経済活動の一種と捉えられる視点があるということを、

もうひとつは、行政の動きというのは十数年前から続く覆しがたい計画から成り、末端の人間には抗し得ないということ、

これらを自分が住む町とその隣町という非常に親しみのあるスケールで描こうとしている。

しかし、この作品においては、その試みは戦争という問題を矮小化していると取られかねない範囲にとどまってしまっていて、作者の意図するところは達せられていないと思う。

別章が無かった最初のバージョンならばなおさら。

この作品はどうしても主人公以外の人物の感情が麻痺しているかのように感じられる。

死をそんなに割り切れるものかと、大抵の人は思うだろう。

主人公と殺人との距離が遠すぎて、感覚が麻痺した読者には作者の意図は届かない。

自分の仕事が間接的に誰かの生活を脅かしているという感覚、それを作者は意図したのだろうと思う。それは社会が大きく連携しているからこそ、まるでバタフライエフェクトのように自分の行為が誰かに影響する。けれど、その大きさゆえに末端の人間はその仕組みそのものを改革することはできない。

ミニサイズの戦争によって日本社会を皮肉るというのは、『バトルロワイヤル』でも行われたわけだけれども、そういうどうしようもない末端の人間の無力というのは、それを知らない人間には娯楽として面白く無いし、知っている人間に取ってはつまらない現実の有料再演でしかない。

それって、改めて小説に書くことかい?

この手のスケールダウンタイプのアイディアは確かに手ごろで面白いだけど……。

逆にスケールアップタイプのアイディアは、例えば、宇宙戦争とかなんだけど、スケールアップにしろスケールダウンにしろ、それが現実サイズとの微妙な相違があるからこそ楽しいのであって、そういう「ちょっと違うところ」が作品の面白みになると思うのです。

例えば、となり町戦争ならば企業城下町同士の戦いとか。

そういう一種おふざけのような要素が盛り込まれると、身近さが増すんですけどね。

いや、増したら「非当事者の罪業」っていうテーマがはっきりしないのか。

細かい書類への気配りは良かったから、実際の市民の声が欲しかったなぁ。

作者は現実に市職員ということらしいですが、福岡で生まれて熊本大学に通い、福岡在住とのことなので、九州的な考え方の雰囲気がなんとなく分かるんですよね。

しかし……現実の地域振興そのものを経済小説ばりに書いたほうが実は楽しいと思うのです。

文系出身で市役所勤務なら、そういう地域振興とかまちづくりの裏っかわを見てると思うんですけどね……。

となり町同士でのイオンの取りあいとかね。

そういう行政出身の経験がこの作品の執筆動機でしょうけれど、史学出身らしく戦争なんて重すぎるの選ばなくても良かったんじゃないだろうか?

デビュー作として、ちょっと登場人物にドライなところが多過ぎるのが気になる。

もっとべたべたどろどろしたのが必要になってくるのだろうなぁと思いつつ、まあ、こんなとこかなと。

最後に、僕は、戦争によって技術が発展するのではなく、技術によって戦争相手を上回ることができ、それによって相手から直接的あるいは間接的な収奪が可能と考えるから戦争が発生すると考える。

戦争がなくたって戦後の日本は良い製品を作り出してきた。

戦争というのは経済競争で解決できない問題を武力の行使によって解決しようとすることだ。

施設や人的資源の損失を思えば、一国の経済ではなく二国の経済をトータルで考えたら効率が悪いに決まっている。