夏目漱石『明暗』新潮文庫/読書感想

実に2週間分くらいの通勤時間が費やされました。

漱石最後の未完の大作。

解説にもありましたけれど、ドストエフスキヰの影響を感じずにはいられないですね。

僕は、『こころ』と『三四郎』でさっぱり感情移入できずに挫折した思い出があるのですが、これがすんなり入ってきたのはどうしたもんかしら。

成長したのか、どうなのか。

未完なんですよね。

水村美苗氏が『続・明暗』という作品を書いていますが、っていうか、それを読もうと思って手を出したのですけれどね。

この水村氏は『私小説』とか『本格小説』とか、上段の本気か下段の冗談かいずれか判別しかねる調子で表題をつけつつ、真正の本気で明治・大正の文学をリスペクトしているらしいので、すごく気になってはいたのです。

それがこないだ、『日本語の亡びる時』って本でネットで話題になったりして、興味が俄然沸いたのですよ。湧いていたのが沸いたんです。

さて、今度読んだ『明暗』の話に戻ります。

僕もこの明治・大正期の小説は好きですよ。

洋語を漢語に取り替えたり、漢語から新しい語を生み出したり、口語に漢語を当て字したり、作家の言葉に対する感性が頻々と現れて、すごく刺激的です。

例えば、興奮と亢奮と昂奮を使い分けたりね。僕は個人的に、興奮は「興味をそそられて感情が高ぶっている様子」、亢奮は「抑制されていた感情がとば口を見つけて高ぶった様子」、昂奮は「次第に熱を帯びるように感情が高ぶる様子」、と解釈しています。この『明暗』でも昂奮と亢奮が使い分けられていたと思います。

そして内容も、漱石の意欲が伺える緻密な描写と巧みな運びです。

少し、展開がゆっくりすぎるようにも感じられますが、それも遺作と考えると気迫の表れと取れます。

とにかく、問題の中心人物が登場した佳境というところ、しかも、温泉療養地という場所で「未完」と途切れられては、後が気になって仕方ない!

水村氏の筆力への期待は否が応にも昂まろうというものです。

ところで、頭の中で津田が絶望先生の姿をとっていて困――りません。

延子があびる、秀子が倫、清子がきっちり、吉川夫人がカフカ、継子がまとい、百合子が霧、お時が時田、小林が一旧さん、藤井が絶景、一が交、小林先生が絶命、薬屋の夫人はカエレとか、看護婦は普通に普通で、旅館の下女は晴美とかで考えると……カオス(笑)