言葉の硬軟/daily

今は『史記』を読んでいます。

版元は……徳間ですね。白文、書き下しの前にかなり読みやすい訳文がついていて読みやすいです。(追記:しかしこれは訳文はちょっとくだけた表現がすぎるような気がしないでもないですね…汗)

僕は書き下しでわからない語句があったら訳文を読むようにして進んでいます。

漢文好きなんだよなぁ。硬くて。

とはいえ、女性名とかあるいは家庭的、庶民的なものはやはり柔らかい音を持っているんですけどね。書物として触れるのはそういう硬い文書が多いので硬さが好ましく思えるのです。

和文古文の柔らかさも好きですけど。

平安時代は漢文と和文を公私の場面によって使い分けていることが多いような気がする。

武士の時代になってくると漢文調の硬めの候文へと変わっていくわけですが、その「候」が威儀を正しつつもやはり日本的な柔らかさを持っているのがほほえましいと思います。

明治時代のころは、和漢混合にさらに言文一致が加わり、さらにさらに洋語の輸入が相次いで新鮮なエネルギーがあると思います。

戦中はまた、かたっくるしいわけですが、戦後は一転して中身が軟派というか、相当変わってきます。

そんで、ずーっときている感じですね。

僕もたいがい軟弱な文章を書いていますが。

文体は広く読まないと飲み込めないし、書かないと身につかないですから。

国語の授業は読むことをもっと大事にして、同じ読み方を目指すのではなく違う読み取り方の受容と意見交換を重視したほうがいいと思います。

また、漢字の書き取りについては、やればやるほどいいと思いますが、それは字を憶えるというよりも美しい字を書くための練習と捉えるのが良いかと思います。

こないだ『DS美文字トレーニング』をちょろっとやったんですけど、ちゃんと筆が立っていないと認識してくれないのに参りました。

その後しばらく書き文字する時に、止め、撥ね、払いを美しくしようと気をつけて書いていたらなんだか手のひらがつりそうになりました。美しい字を書くための筋肉が手のひらに備わっていないのでしょう。

そういう字を書くための細かい筋肉をつけるのに筆写は重要かもしれません。

適当に百字書くよりも美しく十字書いた方が集中して憶えも良さそうですしね。

国語から離れて英語となると、これはちょっと意味が変わってきます。

発音と聞き取りの問題が出てくるからです。

これは国語と同列に扱うのは難しいでしょう。

ただ、「科学の世界でもっとも使われている言語はブロークン・イングリッシュ」ということですし、そこまで気負う必要は無いでしょう。外国旅行で恥ずかしくない、外国人旅行者を迎えて安心してもらえる、基礎的な会話がマスターできていればいいような気がします。あとは、基礎教養としての英米文学くらい押さえたらいいのでは?

なんで語学の話になったんだっけ?

ところで、最初のほうで言葉を「硬い」とか「柔らかい」とか言っていますけど、外国語でも「硬い」と「柔らかい」はありますよね。ただ、硬いに属する音が違うように感じます。

僕は言葉と意味というのは頭の中で空間に浮かんでいるように感じられて、もやもやと「この言葉とこの言葉は近い」とか「遠い」とか暖かいとか柔らかいとか思うのですけど……なんというか、概念が音と触感の連続あるいは遠近感で記憶されていて、色とか形状が淡い感じで忘れっぽいんですよ。顔よりも声や体の動きのリズムのイメージの方が強いと思います。尖った声の人の顔を見て「あれ?こんなに丸い顔だっけ?」って思うこともしばしばです。錆鉄の肌合いのような渋い声とか、そういう記憶。

ま、それはまた別の話ですけど。

意外とみなさんそんな感じかもしれませんけど、言語の得て不得手にはそういう記憶力の異方性が関係するので一概にこうすれば良いってのは難しいと思います。