村上春樹『海辺のカフカ』(上・下)新潮文庫/読書感想

2002年の作品。

うーん……カフカ少年は少年から大人になっただろうか?

大人になったかもしれない。しかし、不思議な大人になった。

世の中にいる大人は一般的な意味で大人だが、果たして彼がそうなったように、またはいくつかの登場人物がそうであったように不思議な大人ではない。

作品の構成として、ヨーロッパでも通用するモチーフを持ち出してきている。

というよりも、父殺しと母との性交というテーマを兼ね備えたエディプス王の神話などが優れているのだが。(僕は『源氏物語』も『雨月物語』も夏目漱石も通しで読んだことがなく、外から見た知識しかないのが口惜しいところだ。)

これは、先進国が共有するテーマであるというよりも、経済的な充足が抱える子供の自立に関する普遍的な問題と思う。プラス、経済が充足する中で、性が生存本能以外の意味を持ち始めるという中での、セックスの位置づけの問題(この作品でもセックスの話が多い)。

普遍的なテーマを不思議な世界観を持ち出すことによって比喩的に(メタフォリカルに)象徴的に解決しようとしている作品であると思われます。

(ここからネタバレを含んでいます)

刺激を抜いた表現をすれば、「父の克服と母の捜索」というテーマだろう。

それは、女性の視点からすれば「母の克服と父の捜索」となる。

この父・母というのは、自分にとっての父・母でもあるし、自己の分身であるところの子供の視点からの父・母でもある。つまり、男の視点からは「父からの支配の克服=自立と母性の源泉への理解」「子供にとっての父である自己の確立と伴侶たる女性の獲得」

このテーマは、男性的というか、男性に多く共通するテーマであるのだが、男性的女性にも共有されることが多いと思う。逆に女性的な女性のテーマはというと、どちらかというと受容というか、感得というか、そういう感じが多い。

これは、たとえば最後にホシノちゃんが入り口の石をひっくり返して閉じるわけですが、そこまでの過程が運命的であって、その行為のすべては物語が閉じてしまった後から見ればすべて運命であったと女性的には受容可能なのですが、男性的にはそれは克服されたと認識されるわけです。

結局のところ、男性的・女性的というのは過程における表現が男性的であるのか女性的であるのかという違いにあって、最終的な問題は個人か社会かの規模の違いはあれど、アイデンティティのアイデンティファイの問題なのだと思うのです。つまり、意味を伴った存在認識の確立。

僕が気になるのは、村上作品はこれと『ノルウェイの森』の二作品だけなのだけど(『空飛び猫』の翻訳作品を読んだけど、なんだかあれは良くなさそうに思った。僕の知っているル・グウィンらしくないから)、母性に対する強烈なまでの意識だ。女性登場人物の都合のよさというか、主人公がモテる理由がそれを背景にしているような気がする。

性別が不確かな大島さんの登場は特徴的なのだけれど、主人公の性的な問題に対して繊細な問題を投げかけたりはしていない。主人公の悩みは、父の設定した自己との相克の問題と母親への渇望であり、それをどう内部に処理するかにおいて実際に行為に及んだ後に内的に処理されるのと行為に及ばずに代償的に処理されるのとでは意味が違うと思うし、その結果として同じように完成された大人となったとしても、この物語が与える意味は歪んだ形になるのではないかと思った。

いや、めんどくさい感想になってる。

つまり、感想が長い作品については、語るべきではないという僕の経験からすれば、あまり良くはないと結論付けたいのだと思う。それは分からないからだろうけど。

僕はもっと佐伯さんの葬式とかジョニー・ウォーカーの葬式とか、星野さんの帰還とか再来訪とか、そういうのがもっと重要だと思うんだよ。あと、カラスの行方ね。

なんだか、そういう残った半分というのが重要だと思うのです。それは物語の膨張なのだけど。

仮説が仮説のまま残ったことよりも、そういう変わった世界の変わった姿が見えないのが、嫌な感じ。

文章は上手いのだけれど、心情的に相容れないのだろう、というか経験的に理解し得ない部分があるというのが僕にとっての村上作品です。

例えば、「文字をなくした言葉」という一節には、僕は「文字にならない言葉」というイメージを持っているから、違うと感じる。歌い手に言葉と同時に文字があるという認識は、僕はすぐにうなずけない。音が先行して、言葉になって、言葉を写したのが文字だと思っているから。

例えば、ナカタさんの口から出てきた死すべきそれの色が白いこと。この発想が気持ち悪い。僕だったら血を意味する赤か闇を意味する黒なのに、白というのが気持ち悪い。

そういう種類の相容れなさがある。

土が違えば違う色の花がつくようなものか。あるいは、開花から散華へと色を変えるのか。

よくわからない。