田中康夫『なんとなく、クリスタル』新潮文庫/読書感想
執拗なまでな数の通ぶる註釈と最後の少子高齢化のデータとのギャップが難しいんだよなぁ。
バブル期の20代が目指していたものの姿が描かれているというのは正しい。
しかし、由利は、これでいいと思っているなんとなくクリスタルな生活の裏側に、激しく原始的な衝動的執着も感じていて、それが潜在的に足元を暗くしているように見える。
そしてラストの三十代を意識するシーン……。
1980年の作品ということで21世紀の僕はバブル世代のその後を知っているからなぁ。
(とはいえ、氷河期世代の苦境に比べたら幸せな時代があるだけマシと言うものだけど。)
そういう暗示的なラストの後に、少子高齢化のデータでしょ?
どうだろう?
作者としてはそんなクリスタルな生活はなんとなくじゃ続かないと言うことをうすうす感じていたのかもしれない。その予感が彼をして後に長野県知事へと成らしめたのかもしれない。
でも、それを感じつつ、それでも衒示的消費の権化のごとき作風をしたためたというのは、やはり自身がそういう文化に適性を示していなければ不可能であろう。
これだけの情報を得るには、そういう女子と恒常的接触が無ければならないということ。
そしてそこから培われる「スノッビー」な感覚と言うのは、やはり地方の土臭く生きる人々には合わないと思った。
優雅に退廃を察知することと退廃の中でしぶとく生きることは両立しない。
とにかく、わざと書いているのにわざとらしさが無くてしっかりと板についているのが気持ち悪いと思った。モチーフが単純なだけに作者の本質が現れていると思う。
頭もセンスも良いんだろうけどね。これは悪趣味だと思う。
註釈もそれを見たことが無い人のためにつけられているのではなく、衒示性を強調する形で用いられていて腹立たしい。
ブランドに興味が無い田舎者の僕としては、わざとだとしてもこういう作り方は嫌いだ。
余談。
あまり良い例えではないですが、「スイーツ(笑)」がはてなダイアリーを書いたらこんな感じになりそうです。うざったさではこれに類似する社会派ブログが実際にあったりしますけど。