9月の読書生活/読書

■購入

9/1

清涼院流水『コズミック』(流・水)、『ジョーカー』(清・涼)講談社文庫、

高野和明13階段講談社文庫、ロバート・A・ハインライン夏への扉』ハヤカワSF文庫

9/9

伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』新潮文庫

9/22

村上春樹ノルウェイの森』(上・下)講談社文庫、村上龍限りなく透明に近いブルー講談社文庫、

貫井徳郎『鬼流殺生祭』講談社文庫、二階堂黎人『地獄の奇術師』講談社文庫、

『わらべうた』岩波文庫

川原正敏海皇紀』(37巻)KC

『わらべうた』は資料用(笑)…は冗談として、和めるかと思って購入。

『オーデュポン』は珍しくも新品で購入。『コズミック』(流)を上り列車で読み終わってしまったから。

■読了

9/2 上橋菜穂子精霊の守り人新潮文庫

9/4 上橋菜穂子『闇の守り人』新潮文庫

9/7 上橋菜穂子『夢の守り人』新潮文庫

9/8 上橋菜穂子『虚空の旅人』偕成社

9/8 上橋菜穂子『神の守り人』偕成社

9/11 清涼院流水『コズミック』(流・水)講談社文庫

9/17 清涼院流水ジョーカー』(清・涼)講談社文庫

9/19 伊坂幸太郎『オーデュポンの祈り』新潮文庫

9/22 稲葉振一郎『経済学という教養』東洋経済新報社,2003

9/24 高野和明13階段講談社文庫

9/25 J.K.ローリング著・松岡佑子訳『ハリー・ポッターと死の秘宝』静山社

9/26 村上龍限りなく透明に近いブルー講談社文庫

『経済学という教養』はある程度門外漢向けに書かれていて、特に1970年以降の経済関連の議論の流れを追うことができる。参考図書がふんだんに紹介されていて、つまりはナビゲーションとして役に立ちそうだったのだが、返却期限が来てしまって書きながら読むのが途中になってしまった。

返却後一度いろいろ読みながらメモしたりしたが、次に行った時には貸し出されてしまっていた。

失敗した。

今は統計学を読んでいる。

金融工学の本を少し齧ってみたが、その前に統計学から入りなおそうと思ったのです。

東京大学教養学部統計学教室編『統計学入門』(東京大学出版会)という本で、序文から読み応えがある。

学部時代に統計学の講義(「確率・統計」という講座名だった気がする)で使った教科書と比較しようと思い立ったが、どうやら研究室に寄贈したか何かで手放してしまっていたようだ。

基礎統計学全三巻となっていて、一巻が入門、二巻が人文系向け、三巻が自然科学系向けとなっている。実例も多いようで楽しみにしている。

ていうか、今更統計学を再勉強とか、マジ手遅れレベル。

7月に法学、9月に経済学と入門書らしきものを齧ってみて、統計学に至った理由は……直感的に、経済というかロジスティクスというか、兵站っていうか農業というか、つまり生産という行為そのものが、都市計画はおろかすべての社会活動の形態を決定していて、その予測に用いられるこれらの概念と規範意識を集合した法理論というものは社会を再構成する上で必要な知識であると感じたからです。

それは、例えばもっと境界条件を限定して、一都市、一街区など絞って計画を立てる行為とは逆の条件を拡大する愚なのだけれど、ま、そんな徒労の人生もいいじゃない、と趣味の意識で。

金融については―今、世界的な経済の低迷を見せていますが、それは金融によって一国の中で完結していたリスク管理金融商品という共通言語というかローカル性を失った形でやりとりされることによって、業界や国の境を越えて流通し、その結果として、世界経済のフラット化を促進した。その果てに、全ての根幹である食糧生産などの一次生産の拡大の停滞=ほぼ一定である状況下で、後進国の成長によって先進国の優位性が相対的に揺らいできている。それが投資家にとっては正体不明の動揺であって、そもそも現状の株式というのは日米欧の引退を控えた世代の老後生活の軍資金であるところの資産の投資先という位置づけで盛り上がっていて(サブプライムローンもそうだったのだとおもうけど)、それが景気が悪くなってきたものだからちょっと早めに引き上げてしまってもかまわんだろうと個々では思ったとしても、株式市場の順調さが支えていた下の世代の経済をも冷え込ませてしまって→(略)みたいな展開だと――あー、専門知識が無いなりに推測します。

多分、大航海時代などもこういう経済システムの相転移みたいなのがあって、混乱があったと思います。それは、船によって条件の違う二つの領域が接した結果ですけど、こっちは煮詰まった結果の相転移みたいな感じです。文化というのはバッファというか――あー、よくわからなくなってきました。

勉強していることを極端な還元の仕方をすれと、多分、地方自治体は支店経済を解消して厚みのある経済構造を構築する方向に進まなくてはいけない、とかそういう話になるんですけど、なんか、多分。

結局、地力に依存する食糧生産の総額から、輸送等のコストをさっぴいて、その他の森林や金属と燃料などの資源量とか、それらを効率化する科学的知識のレベルで国力が決まってくる状況に戻ると思うので、まあ、日本の人口は減るのだけど、どういう形で減るのかというのは、まあ、よくわからん。今の中央集権を無理に続けようとすれば地方がぽそぽそ死ぬし、そうなると農業とかめんどいことになるけど、実際のところ、分権は農産物価の高まりから進んでいくんだと思うな。てか、農水省の改革が必要というか、自治体と会社とNPOとの関係性も金融工学による金融化というか、共通価値化によってフラットになりつつあるというか――それはある種、古い山村で機能していた形式が――

そういう感じがもやもやしている私の脳内なのでした。

現在は『地獄の奇術師』が車内のお供。

今月もそろそろ補給しないと。