顔/自己言及
相手の顔もそうですが、自分の顔を見るのも苦手なので、自分は人間の顔を見るのが苦手なのだなあと思います。
顔を見るという行為は賭け事に似ていて、僕が負けるようにできていると思うのです。
鏡の中の自分も、思っているよりも普通じゃない……と思う。
普通の顔ってどんなだろうか?
テレビで見る人たちとナマで見ている人との比較は自分の中でうまくいかない。ナマで見ている人を見慣れていないからだ。
しょっちゅう、「あれ?この人ってこんな顔だっけ?」って思う。
顔を見ないのはどうしてだろうか?それは、人の顔を見ていると怒られる気がするからだ。
小説やドラマでは「人の顔を見て話さないのは失礼」だと言う。僕にとってそれは人生の大半でフィクションであった。しかし、劇中において善玉の人物がそう発言することから、そちらが世の常識であることは推測できたし、少ないが実事例もあった。
でも、量で勝ててない。
思わず視線をそらす。
喋る・考えるしている時、視覚は減退して、思考で闘争心が掻き立てられて、挑むように人の顔と相向かう。その時、視覚は脳裏にあって、相手の表情を認知しない。相手の顔は純粋に論理的な思弁には無関係である。
そういうケースもある。
しかし、あまり頻繁には起こらない。
顔を見ない。
僕は見られているのだと思う。
見られていないと考えるが、見られていると思う。
悪い意味で目立つのだろう。どういう悪い意味かは知らない。
以前は、見るに耐えない容貌なのだと思っていたけれど、そうでもないらしい。
たしかに、ただの猿っぽいチビなだけだし。普通?
なんか、他人ってよくわからん。
でも、見られているならととりあえずなるべく背筋を伸ばしていた。
人の顔を見るのも、人に見られるのも、疲れます。
そんなことを考える外出中。
まあ、そんな人もいるんだろうけど、当事者ってのはねぇ、微妙。
見られているのは一種妄想的なものがあって、よくよく考えてみれば路傍の石に過ぎないわけです。
そんな石ころに気を配る人間なんて、見立てが趣味の人間くらいのものでしょう。
石が考えたって仕方ないし。
転がって流されて砕けて丸まって海底の泥になって底棲生物に食されるのが一番な気もします。