宮沢賢治『銀河鉄道の夜』角川文庫/読書感想

改訂新版ということで、星や宝石が出てくるものが集められたもののようです。

宮沢賢治は「注文の多い料理店」以外は読んだことがなかったのですけど、

ものすごく音感と色彩と光彩に満ちた文章で、五感がぴんぴんと刺激される感じがしました。

それから、仏教キリスト教との知識を背景としつつ、単純な因果律に支配されない独特の現実感、道徳観がありました。とりわけ、「貝の火」という作品の展開はすこしく考えさせられました。

印象に残ったのは「十力の金剛石」でしょうか。シンプルで分かりやすいお話で、絵本にすると視覚的に面白そうです。

さて、表題作の「銀河鉄道の夜」ですが、こういう夢に旅する感覚は誰しも持っているのだと思います。そこは自由自在のようで自由自在でなく、楽しくもあり物悲しくもある。銀河を旅する中でスケール感覚は伸縮し、見えないものを見、触れないものに触る。そして、夢から目覚めていく。そんな誰でも持っている喪失感がこの作品に懐かしいのではないでしょうか?

最後に、河合隼雄氏による解説があります。

この解説も興味深いのですが、ひとつだけ宮沢賢治が自らを「修羅」と感じていたことについて僕の意見を。

阿修羅は、闘争を好み、諸天と争う者です。喜怒哀楽の四面を持ち、六臂に武器を持っています。それは、感情の起伏烈しく、何かを求めて争うものの姿です。修羅界にて日夜闘争を繰り返し、犠牲を恐れずにもがき苦しむ様を、そして釈迦如来に救われて仏教に帰依し、なお烈しい心性が抜けない様を自らに比したように僕には思えます。

その求めるところは、結局のところ深層意識から来るものだったのかもしれません。しかし、その烈しく求める心から、求める純粋なものを見えるままに描写した結果が、天上の透きとおった美しさであるように思えるのです。その求めても得られないところが、「非情のかなしみ」でもあり、すべて得られなくとも少しは得るところがあるのが有情のよろこびであると思うのです。

そういう人間らしさと天上の美の対置も鮮やかであると思いました。