松本清張『砂の器』新潮文庫/読書感想
おもしろかった。
博学を活かした奇抜なトリック、と評するべきなんだろう。同時代人ではないからそう感じることはできなかったけれど。
黒部のダムは計画段階であったり、高周波成形が新技術であったり。
列車、自動車、オート三輪、タクシー、交通システムへの皮膚感覚も異なる。
プロ野球はまだまだ社会的地位が低い(松本清張はプロ野球嫌いでしたっけ?そういう記述を目にしたような気がしましたが)
僕はこれに遠い遠い高度経済成長以前への有り得ぬノスタルジィと、当然の隔絶感を同時に覚えました。
もちろん、その時代には拭えぬはずの暗い過去もある。
ひとつは戦争の傷跡。
もうひとつは、ハンセン病の悲劇。
どちらも忘れてはならない難しい問題なのだが、難しい問題なだけにあまり触れられず、今や〇〇園が説明なしにハンセン病患者収容施設と一目に理解できる時代ではなくなってしまった。
だから、それが発覚した場面での空気感が惜しまれる。
清張がハンセン病の悲劇を暗黙知へと委ねてしまったために、犯人への憐憫とそれを認めつつもなお法を貫く刑事たちの姿勢の鮮烈さは今や鈍くなってしまっている。
もしこの作品に犯人の心理描写があったのなら、時代を下った僕にももっと深く感じられるものがあったかもしれない。
しかし、これは深く書けない時代だったのかもしれない、と理解を示すべき所なのか。
時代背景は異なるものの、登場人物たちの細かな心の動きは今の時代の人間と違わない。ただ、前提条件が異なるだけだと思える。そういう、時代を超えて変わりない人間性も感じられるだけに、その隔絶感が悔しい。
だから、犯人の心理描写が欲しかったと思う。
それから、せっかくの印象的なタイトルなのだがどの辺が「砂の器」なのかだけがいまいち分からなかった。
それも残念。
でも、ハンセン病の歴史的経緯を踏まえれば、今でもきちんと読み応えのある良い作品だと思います。