自己分析/自己言及

以下、チラシの裏に書くようなつまんない話。

自己分析とは、他人が見たところでまったく面白くはない。

しかし、自己分析を自分ひとりで抱え込むことの不健康さよりは、公開したほうが心理的負担は小さい。

つまり、そういう自家中毒回避の意味合いが、自分語りには存在していると思う。

それが事実であるかどうかは確認困難である。

自分自身のことを完全に理解できているのならば、この世に悩む人間など存在しないだろう。

自己分析は常に部分的に間違っている。

だからこそ、その変遷によって輪郭を掴んでいくしかないのだとも思う。

理性的でない自分の姿を把握する試み。

心を鎮めて、沈めて、暗い淵を探るように静かに自分の中の根っこに近い部分を掘り起こしていく。

本能的欲求によって惹起される行動

・生存のための死の危険の回避

・睡眠

・食事と排泄

・射精

本能に近いレベルにまで刷り込まれているルール

・死んではいけない。

・指示された以外のことをしてはいけない。

・他人の時間をとってはいけない。僕のために時間を使わせてはいけない。

・物を欲しがってはならない。

・他人を傷つけてはいけない。

・自分の体を傷つけてはいけない。これは自分の体ではない。

・物を壊してはいけない。

・他人のものに触ってはいけない。指紋が付く。汚れる。

・他人を簡単に信じてはいけない。だまされて、死ぬ。

・基本的に自分は間違っている。

・考えずに発言してはいけない。考えは完璧でなければならない。

・間違ってはいけない。

・親に逆らってはいけない。

・なるべくお金は使わない。

・なるべく貯金はおろさない。

・なるべくご飯は残さない。

・なるべく清潔でいる。

・なるべく明るく楽しく振舞う。

・他人と仲良くする。

理性が低下してくるとこれらの要素によって行動が選択される。

否定的なルールが多い。

すべてのルールについて違反した場合には殺されるというイメージがある。

なのでものすごく、逆らいがたい。

原因は不明。とにかく死のイメージは幼少の頃からずっとある。

クラスの女子のいじめに加担したときも、このイメージの影響で死ぬことばかり考えた。自分がいやがらせを受けていることよりもそっちの方がきつかった。マジ人間として低劣。クズ。死ね。

が、より上位に「死んではいけない」があったし、本能も死を忌避していたので死ななかったが。

その後、高校生時代は死ぬとか言いながら120とかまで生きそうと思ってた。

大学では元に戻ったけど。労咳に憬れてた。

今は積極的に死ぬことは考えられないな。いつかは死ぬとは思うけど、死ぬのは難しい。

それにしてもどれをとっても理性的には噴飯ものの極めて幼稚な内容だ。小学生向けのレベル。

そんな理性的に見てみるとものすごく馬鹿らしいことも、この理性が大したことなくて失敗ばかりしているからすぐにこれらのルールに従う羽目になる。

理性的に凹んでいる時の俺はとても愚直だ。

それでも、社会的には十分使用に堪えるレベルとは思うが。

逆に、やってみたいことという前向きな要素は少なく、また、抽象的だ。

やってみたいこと

・怖い。死にたくない。存在を認められたい。許して欲しい。

・手をつないで欲しい。

・抱きしめたい。

・閉じた瞳のまぶたに口付けたい。

・歩きたい。

・歌いたい。

・絵を描きたい。

・笑いたい。楽しくありたい。

そうだな。ずっと許されたいと思っている。原因はよくわからない。

こういうのを「承認欲求」とか言うのだろうか?

よくわからない。

閉じた瞳にキスをするイメージはよくわからないけれども、ずっと昔から心の中にある。

よく分からない。

可能性としては、自分の目に不安があることの裏返しが一番ありえる回答だ。

小学校の頃から自分はいつか失明するのだと思っていた。

なんとなく、昔話を読んだからかもしれない。閻魔様が信心深い盲目のおばあちゃんの眼を治してやる話か、あるいは捥目の話のどちらかの影響だと思う。

こんな年になっても、いつ失明してもいいように眼を瞑って行動してみることがある。

馬鹿げている。

とにかく、許して欲しいと思ってしまう背景には何かしらの恐怖があって、たとえば、油断すると周りの人間がみんな自分を物理的というよりも社会的に殺そうと狙っていると感じてしまうことも同じ原因があるのだろう。

理性的に「そんなことはない」と言い聞かせることができればいいが、疲れると攻撃的になって「攻撃される前に攻撃してやろう」という気持ちになり、そうするとルールの発動を許すことになる。曰く「人を傷つけてはいけない」。こうなると眠らざるを得ない。

眠るというのは、生理的に眠るんじゃなくて、精神的に眠るというか、考えるのを止める。とりあえず、決められた行動、与えられた指示に従ってその日を終え、明日に回復するのを待つ状態だ。

そうやって、ゆるゆると日々が過ぎていっている。

こういうわけわからんルールにがんじがらめで碌々動けないのが今の自分。

もっと表層的には、自然科学楽しい!とか自然って美しい!とか他人の役に立つって楽しい!とか体を動かすって楽しい!とかあるんだけど、それらって理性と連動する領域にあって、本能的ではないからどうしても否定のルールに引っ張られてなるべく動かないように、動かないように、ってなってしまう。

ということに気が付いたのがこんなに年食ってからということで、しかも置かれた状況が最悪。

つまり、俺は俺を自らの力でここから解放しなくちゃならんのだが、その方法がさっぱり分からん。

一説には、小説を書くと良いということだが、俺の書く文章なんてまったく糞ったれだぞ馬鹿野郎が。

まったく、糞くだらん。