僕の作り方/雑念

朝。

日課。

風が吹いている。右肩が重い。死者が歌っている、と思った。思っただけだが。歌が風に乗る。死刑制度とはなんだっけ?人の道を外れたものへの憎悪。それはなあに?石ころを踏みつけた。音色が変わる。前を歩く人のスカートのすそが気になる。ミラーマンたちは何を望むのか?見たいのは中身だろうかそれとも布の方だろうか?そのどれもが錯覚に過ぎないのに。見えているもの、聞こえているもの、錯覚だけで良いのならば、何をそんなに執着するのだろう。錯覚が望むものならば僕は僕だけで充足してしまえるだろう。歌が聞こえて、皮膚よりも内側で物事を処理する。感覚が狂って行く。その錯覚する系を切り離して、肉体は歩き続ける。精神と肉体は別物だ。本能と仲が良い。転んだらすぐに起き上がる。精神と肉体の間に本能が挟まっている。歌が聞こえたら歌いだす。死者の歌であろうと、それが歌ならば呼応する。胸の遠く、犬の遠吠えを聞いた。負け犬。一番最初の敵は自分だ。そして一番最初の味方も自分だ。敵でも味方でもある。自分も、他人も。背中が曲がっていてよ。誰かが脊椎を掴んで正そうとする。失敗して血があふれる。それも空想。頬を掻き毟りたいが影絵で我慢する。くだらない想像力だけは抜群だ。もしも雨滴のひとつひとつが人間だったらと考える。高度―何メートルだったかな?―ああ、とにかく高空から降ってきてつぶれて、折り重なって、流れていく。命の川。命の水。ずっとそうやってできた地面の上を歩いているんだ。足元でなる死者の音。踏みにじる音。風に灰が混じっている。灰が、肺に。塵が、千々に。糞下らない認識力。始まっても、終ってもいない。あってもなくても同じ。まるで宇宙みたいに虚ろな海に揺らいでいる。揺り籠の中で夢を見ている。見ている事の確かさを信じている。信じられている。不思議な光景。手を伸ばしても触れる事ができないと思っている。遠すぎると言うよりも、俺には右腕は無く、左腕は背中に回されていて、それで誰かがむしり取る。恍惚。少し首を傾げると、自分が首を傾げているのが分かった。何をそんなに不思議がっているの?それは僕の顔を覗き込んでいるのだ。俯いた顔を覗きこむために首を傾げるという風に錯覚し、行為を閉じる。単一で帰結する。そうやって存在を無くしてしまえる。どこかで引きちぎらなければならないと考える。ループと繋がっている部分はどこだ?足か?臍か?腸か?腕か?心臓か?目か?耳か?脳髄か?脊椎か?どこだ?どこをまさぐってもそれらしき糸は無い。もっとどこか奥に絡み付いているに違いない。頭の中で頭を叩き割って、脳の中で脳を掻き回す姿を想像する。そしてスープになった脳みそから原始の知性がとかげになって上陸してくる。そして二足歩行を始め、頭蓋骨の洞窟から出て行く。

この間、15分。

これを毎日10セットほどやると僕ができあがって、そして睡眠によってリセットされます。