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佐々木毅・金泰昌 編『公共哲学Ⅰ』東京大学出版会の前半を読んだ。

何でこんな本を読んでるの?馬鹿なの?

借りてきたわけではないので、中身とは対応していない思ったことを書く。

一番思ったのは、食料と武器が歴史を動かしていて、思想は一瞬遅れて動き始めているということ。

あるいは、先行していたのに事態が起こってしまってから認識されると言うこと。

都市とは、農業の進歩によって余分に養えるようになった人口の受け皿であり、その余った分を価値があるっぽいことに振り向けた結果、学問や芸術や娯楽が進歩したということ。

専門と何が関係あるかと言うと、一番まずいときのことを考えて国家を整備して行くのならば、農業生産を中心に考える必要がある、ということ。水圏単位で土地を管理するとか、流通網とか、そういうの。県はいらないので、道州にして水系ごとに管理したのがいいんじゃねーの、とか思う。

日本の制度って非合理的で面白くない。あからさまにおかしい。でもそれを説明できない。悔しい。

他国と比較をするとますますおかしくなる。別の国は、まったく別の国だ。参考にはなるけど。

意味分からん。なんだろう?馬鹿なの?死ぬの?

あとは、日本は単一性が高くて幸せだなぁとか。

以下、適当。

・「都市国家」という用語

一個の都市とその生産地である農地がひとつの国家として成り立ったもの。

ムラ社会の延長上にあるもので、奴隷制の存在などにより集積度が高いという違いだろう。

オストラコンなどは村八分に似ているし、養えなくなった余剰人口は新しい集落を造りに外へ出て行くというのも、かなり初期的な社会。

新しく開拓する土地がなかなか見つからなくなり、民衆が土地あるいは都市にしがみつくようになったのが中世封建社会だろう。

だから都市国家では、戦争は金品と人間の略奪に主眼があるが、封建国家では、土地を奪うことに主眼があるというような違いがある。また、首都が大規模化して首都の支配が王権を象徴するようになって行く。商業集積が高まって以降は特に。

・「奴隷」と言う用語

ギリシャ都市国家の奴隷と中世欧州の農奴大航海時代の奴隷とは、もはや同じ語で括るべきではないのではないだろうか?

ギリシャあるいはローマの奴隷はむしろ従僕と呼ぶべき存在で、教師をやったりするイメージは奴隷と言う語からイメージする姿とは異なる。

中世欧州の農奴は、日本の水呑百姓に近い存在では無いだろうか?

戦争によって捕虜を奴隷化した点などについてもう少し知りたい。

・ガリア地方、ゲルマン地方のキリスト教

ローマ帝国の支配域で、知識階級がローマ化し、整備された街道によってキリスト教が農民階級に浸透して行ったとか、そういう段階的なものだったろう。

神の下、教会の下での平等意識で、王権の正統性に教会の承認が必要となり、それから知識階級のキリスト教化が進んだ、とか?

・多数決

多数決とは多数派工作によって政治的に少数派を黙殺する手法である。

全会一致は論理的帰結によって正確な対応をしようという姿勢である。

最終的な動員力はほぼ同じだが、前者の方が速度があり後者は前者に必ず遅れを取る。

前者が近代的であり、後者が前近代的であるのは、それは後者の意思決定の速度は自然現象に対しては十分に速かったものの、人間に対しては遅かったからだろう。

・「国家」

"res pubrica"は「公共のために動くこと、もの」くらいの概念。

"imperium"は帝国的支配が広がった状態。

"regnum"も「王権の下での統一」くらいの概念。

"state"は区分された状態。

"civil society"は"socio(組合)"の概念の影響を受けて「市民共同組合」みたいな概念。

……って感じがする。つまり、状態ってのは共同体っぽくない。

"party"は「政党」なのだけど、「国家内で分割された一部分」という概念で、それはそれで一個の共同状態になってる。

同列に扱うには語感が違う気がするってこと。

・火器

武力=腕力+武器+騎馬

から

武力=火器

になり、腕力や技量、馬が不要になったので、正規軍でも傭兵でもない一般の市民が簡単に戦力に成るようになった。これが近代化の一因だろう。

あとは、じゃがいもと土質改良技術だと思う。

・"l'ordre"

"lord"の語源か?なるほど。

歴史学

誰が何をしたかよりも、戦争や革命が何を背景として発生しているかが重要だよなぁ。

つーか、何故戦争をするかを教えないと避けられないぞ。

・情報

昔の宗教は人々の悩みである死生観に関する情報を抱え込むことによって地位を保っていた。

戦争では情報収集が戦局を左右した。

その後、メディアが情報を売るようになった。

ここまでは公開する場合の情報の操作性は確保されていた。

よって、共同体社会では弁論が重視されていたものが、金による多数派工作によって情報を操作することが重要になった。

ネット社会では、各個人が発信者となる可能性があり、いかなる情報も当事者からの直接発信ができるために操作性が減少した。

つまり、イメージコントロールが難しくなりつつある。

これは一種、専門技術の一般化であって、絵が宗教画という教会の宣伝媒体から、大衆画へと変貌したのに似ている。

情報発信の芸術化?

・国家観の変容

企業の国際化が進み、2次、3次の生産は国家の枠を離れつつある。

しかし、1次産品、資源と農産物は国家を離れることが無い。

地域性を持っている。

う~ん……なんか忘れた。

……ダメだ。まだまだ体系化されていない。

もうダメだ。ほんとダメだ。ダメダメだ。

っていうか、絶対これ全部整理できている人間が存在すると思うんだけど、多分、そいつにとっては簡単すぎて世の中面白く無いだろうな。人間集団って愚かだろうと推測。

なんか創った方が楽しいだろう。

俺も何か作って暮らしたい。

やば。はげる。もーやだ。

理解しなくても生きていけるよ。