コミュニ系と人間らしさ/侏儒雑観
久留米大学医学部産婦人科学教室>「後期臨床研修案内『産婦人科の現状と今後』」
命を預かる現場で10人に8人が毎日12時間以上働き、半数が平均睡眠時間4.8時間の当直を月に11回以上こなし、家族と暮らせるような完全オフが月に2.5日……俺だったら発狂して(以下自粛)
子供に勧められない職業に本当の満足なんて有り得ないですよ。
リンク先では他にも産婦人科医の減りっぷりとかが示されているので、ご覧ください。
憂鬱になれます。少子化対策って何なんだろう?
NBO>「談合消滅後の建設業界で何が起きているか~工事単価の“ダンピング”や発注者の権限強化で職人は青息吐息」(2008年3月28日)
工事単価のダンピングについては、社会的要求に対して従事する者の人数が多すぎるから起きているのであって、公共事業が主であることから市民から行政を介して建設業界が酷薄に扱われていると感じるのは、市民と建設業界の感情的対立に繋がって空しいし、何よりこれが時代の流れであると自己認識できていない会社は潰れると思う。
そして談合があった時代から、施工者は発注者に対して弱い立場にあったことに気づくべき。権限は昔から変わっておらず、ただ、発注者に余力が無いから要求が厳しくなったように見えるだけ。それに対抗するには職人の品質維持へのプライドしかないのだけれど、今の土建屋にそういう職人なんて業界全体で十指に余るんじゃないですか?悪い言い方をすればゼネコンは奴隷と奴隷監督官、コンサルは御用聞きでしょ?今の日本の公共事業なんてピラミッド建設以下になろうとしていると思います。
産婦人科医とは違う意味で子供に勧められない職種ですよ……orz
ほんとはもっと誇りを持てるものだと思うんですけど、業界の自意識と一般の認識ともに理想像からかけ離れていて悲しいです。
MORI LOG ACADEMY>「2008年03月27日(木曜日)【社会】 無差別殺人に対する防御」
マスコミは視聴率の虜になって思考停止してしまっており、視聴者が求めている情報をただ無批判に提供しているに過ぎないのではないかと思う。
そしてその視聴者はというと、無批判に楽しめるもの、表面的な評論を求めていてこれまた思考停止の状態である。
事件が発生したことは伝える必要がある。しかし、それが連鎖を呼ぶようなものであってはならない。この種の報道に関する報道の自粛するにしても、そういうきちんとした情報の取捨選択ができる人間が今のマスコミには存在しないのではないだろうか?そして、そういうことをおそらく自問すれどもそれを共有する余裕も無いのではないだろうか?
「イカリング>Eカップが幾何学的抽象画に��されてる絵ください」のはてなブックマーク
面白いんだけどエロいのではてブをリンクしておく。
こういう特殊な性癖についてコミュニケーションを成立させることができる「2ちゃんねる」はある一定の存在価値があると思うんですよね。特に、性に関する話題は社会の陰部であるから、ネットの匿名性とよく親和する。性癖とは他者に要求しているようで実は自己への欲求だと思うのです。ひとつベッドの上で眠れるような相手は他人ではなくて自己と同一視されるものですから。よって、性の話題は匿名性の中で自己を再認識する意味で行われると健全でありうると思うのです。
この>>1のように自己の特殊性が正しく認識されるような流れに限っては。
今のネットのまずい所は、たとえば殺意についてはそれを内側に持っている人が多すぎるためにお互いに増幅しあってしまっているという点です。児ポ法についても同様。
しかしそれは、オフラインの現実社会におけるコミュニケーションの減退が道徳観の衰微を呼び、結果として抑止力が働かなくなっているせいであると思うのです。つまり、ネットが悪いのは現実が悪いからです。
で、ニセ科学ですよ。
ASCII.jp>「信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く」(2008年03月30日)
1年前の恩に報いる意味でも紹介しておこうと思います。
あと、交通渋滞の研究が興味深かったというのもあります。
僕はどうしても人間として軸がぶれているので失敗することがありますが、基本はニセ科学に対して批判的であるはずなのです。ですがいかんせんミーハーで迷信好きなかんせいモードがあったり、ルーラーで不感症な理性モードがあったりして一貫しないので、ニセ科学の話題は一貫性がある人たちにお任せしたいと思います。
ITmediaNews>瀬名秀明に聞く「仮想世界」「ケータイ小説」「初音ミク」(2008年03月31日 08時45分 更新)
瀬名先生、新作出されるんですね。
瀬名先生は、『パラサイトイブ』と『Brain Valley』の違いに、作品に「自分」のすべてをつぎ込む作家と思っていたので、『Brain Valley』から10年が経ったことを考えると新作はまた新しい瀬名先生が見られるのではないかと思って楽しみです。
さて、記事の内容は……僕が珍しく名前を覚えたライター・岡田有花さんですし、とても興味深いです。
「初音ミクの歌い方を調整すること」をニコニコ動画にアップされたとある曲が原因で「調教する」と言うようになったのですが、その語を捉えてミクが調教されている現状から成長していくだろうと予測している。ツールと人間の関係性がこの記事の背後にテーマとして流れていると思うのですが、その中でミクというのはこちらがわの要請によってツールを脱するかもしれない存在と目されているのが興味深いですね。そしてその一方で、作家という存在を例に取り社会性によって人間がツールになってしまう現実について言及している。僕は「作家がブログを書く」という現象を、その現実に対する抵抗と見ているのですが……こういう対称性は面白いですよね。
今の日本は過渡期にあると思います。
技術的な意味でも文化的な意味でも。
それを超えて面白い何かになれるとポジティブな僕は思うのですが、さて、どうなるでしょうかね。