運命/ニンゲン

運命はあるのか、と人は問う。

運命はいる。

運命が無ければ弱い人は失敗の責任を人に帰せざるをえなくなる。

社会、大人、親、友人、そして自分。

誰かの責任にせねばならない。

そのために運命は要る。

強い人にとって、すべては自分に出来ることと出来ないこととの二種類に分けられる。

そして、自分の責任と自分の責任ではないものとの区別が明確である。

よって、自分の責任でできることを確実にこなすことが出来る。

すると、すべてはそれがありのままそうであったかのように感じられ、他の状態になる余地が無い。

それは運命と感じることが出来るだろう。

だから、運命はある。

運命は一握りの成功者とその他大勢とでその意味が異なる。

弱い者にとっては運命は要るものであり、

強い者にとっては運命は在るものだ。

その認識の違いが人生の勝敗を分けているのだと思う。

=*=余談=*=

法は社会の在るべき必然であり、ほとんど運命的な力として認識されるべきものだろう。

その意味で法は、

上記の如き性質を持った弱者を保護するものでなくてはならず、

かつ、

上記の如き性質を持つ強者の活動を妨げないものでなくてはならない。

それは、強者のその前進する力を弱者に対してではなく、過去の自分に対して行使するように仕向けることで達成されるのだろう。

強者に対しては革新性が保障され、弱者に対しては保守性が保障されるべきではないだろうか?

翻って……うぅむ……僕は法律を学んだわけではないから、現代法の精神がどう規定されているかも知らないから何とも言えない……。

どうなっているんでしょうか?

近々図書館で調べよう。

ちなみに、僕自身は冒頭での問いに対してナチュラルに「いる」という回答を取り、

後半部の語りだしにおいて「強い人は」と断りを差し挟んでいることから、

まだまだ弱い人間の部類に入るものだと理解しています。