泡沫の末路/種々雑感

バブルが崩壊したとしても、ゼロサムゲームと言われるように損する者が存在する一方には必ず得する者が居るとされる。

しかし、実際はそうではないのではないか?

投資というのは信用から成っていて、投資対象の将来性を信用するから投資している。

信用というのは、身近であるほど、短期間であるほど、成立しやすい。

それが、信用の積み重ねによって、遠く離れた場所・時間の相手に対する信用が次第に形成されていくようになる。

証券会社や銀行はこの信用の拡大に貢献することで中間利益を得る者であり、信用が拡大するように活動する。そして、信用そのものに値が付く。

この信用に値を付ける際にお金が移動し、その結果、手数料という架空の金が実体経済に加わっていく。

そうして信用は際限なく膨張するかに見えるが、しかし、実際は崩壊する。

信用が崩壊して、投資が手控えられるようになるとお金の移動が減り、その結果である手数料が生まれなくなる。ここに確実な失速が見られる。

ただ、その失速は信用によるものであって、信用がその価値の大半を占めるものにしか影響しないだろう。つまり、通貨や株価や不動産の市価には影響しやすいが、道具や資源には影響しづらい(むしろ資金が流入しやすい)だろう。

信用は人と人との間に必ず存在しているから、信用は市場の中だけでなく外にまで伝播するだろう。市場の中では「値札の付いた信用」が取引され、市場の外へは「値札の無い信用」として流れていく。そういうふうに実体を減らしながら信用はひたすら伝播して、そしてどこか末端で不利益を満身に背負って死んでいく人だか物だかが存在しているのだと思う。例えば、自殺者やら不法投棄やら。というのは、信用があればそんなに人は死なないし、信用のつながりを必要とするからこそ違法行為に対して慎重になる。

そしてそうして信用があったからこそ非効率的に見えても経済の内部に組み込まれていたものが外部に投棄されることで把握されなくなる。しかし把握されなくてもそれは確実に負の遺産として残り、将来的に労働者福祉や廃棄物処理などの問題となって露呈する。それは信用が十分に回復してからのことになるのだろうけど、この一連の流れが果たして全体として経済的なのか不経済なのかは、僕にはわからない。(これは環境問題などにも関係あると思う)

とにかく、ほんとはゼロサムにはなっていないんじゃないだろうか?

…と思うのだが、こんな話に乗ってくれそうな暇な人間が周りに居ないので仕方なくここに吐き出す。

経済はよくわからん。

確かに信用は取引に値する。しかし、拡大してバブルを生じるまでになると困る。

グローバル化によって事象が大きすぎて上手いこと把握できなくて気持ちが悪い。

とにかく、経済というのが化け物になってしまっていて、コントロールの限界を超えたように感じる。