道具としての自分/自己言及

自分は別に無能ではないということは解っている。多分だけど。

でも、興味の方向性をコントロールできないので、自分の身をどう処したらいいのかが解らない。「無脳だな」

例えば今日は朝から以下のようなイメージが頭の中にある。

静かな湖面に腰まで浸かった女性の姿が足元から青白い柔らかな光で照らされて浮かんで居る。

湖面は静謐と言えるまでに滑らかに広がり、光が届かない暗闇の果てまで広がっている。

女性が水面から数センチの所を右手で撫でるような仕草を見せると、水面に12色の長方形がまるで鍵盤のように表れた。

同じように左手を動かすと、同じような鍵盤が表れる。

そして、彼女はそっと手を下ろして鍵盤の一つに触れた。

指が触れて、離れる。

彼女の白い指先に触れた鍵盤の色が付き、指先から放たれた波が同心円状に広がって鍵盤の色がわずかに混じる。

無音の音楽が静かに始まった。

次第に演奏は激しくなり、鍵盤の色はどんどん混じって区別が付かなくなる。

そして、速弾きの限界点に達する時、色は完全に交じり合って黒くなり、唐突に音楽は止まる。

音楽の終了とともに鍵盤だった色は拡散して行き、元の静寂が戻ってくる。

最後に照明が消えて、全て真暗になる。

……こういうビジョンが唐突に生まれて、理由も無く繰り返される。

そして同様に唐突に、こんなことを考える。

全ての波は球面波なんだろうな。それが、水面に限定されて水面波になり、進行方向に限定されて音波になったりするんだろうな、なんてことを考えた。弾性波は巨視的に見た際に縦波として認識できるけれども、材料分子単位では横軸方向がある。それが破壊に繋がるんだろうが、弾性波を流れとして捉えると、もしかしたらボトルネック現象というのは固体にも応用できるとして、液体をボトルネックを上手く通すための渦を利用すると言うのは固体に応用できないだろうかしらん?

光は原子からどのようにして放出されるのだろう?電子は確率的に分布していて、エネルギー準位が下がる際に光としてエネルギーを放出する。その放出される方向は、原子の配列などに影響を受けるのだろうか?とすると、集合によって必要な結論から決定的に確率が収束するのだろうか?

…とか考える。

…良く解らん。

考えているのではなく、コントロールできていないからこれは感じているようなものだ。

それは、あまり道具としては扱いにくすぎる。

…いかん。言語が崩壊する。

終わり。