寂寥不感症/自己言及

今日になってふと思った。

たくさんの記事を書きたがるということは、それだけ普段言い足りない、話し足りないことがあるということ。

それをひっくり返すと、それだけ自由に自分の話を聞いてもらうことが出来る人が少ないということ。

…あれ?僕って、寂しい人?

僕は普段口数が少ないだけで別に寂しい思いはしていないつもり。

口下手でもあるし、ネットと現実は“使い分けている”つもりだったけど…

でも、確かに自覚として普段言い足りないことを、ネットの上に公開して誰かに見てもらえる状態にすることにやすらぎを感じているのは事実(…ああ、こういうのを“依存”と人は言う)。

…そうか、この状態は十分に寂しいということなのか。この程度の手持ち無沙汰と言うか、やり場の無い感じは十分に「寂しい」と表現されてしかるべきだったのか。気が付かなかった。

だとしたら、僕は十数年前から“寂しい”人間である。

ただ、僕は孤独感について不感症らしく、あまり気にしていないが。

携帯のアドレス登録数が少ないことも、電話を年間50回以下しか掛けないというのも、一人で昼食を食べるのも、他人に「寂しくない!?」って指摘されるけれども自分では全然実感が沸いていなかった。「そうかな?別に不自由はしてないです」とか言ってた。

「寂しい」という言葉は、雨の日や、月や星の明かりが無い夜にだけしか使ったことは無かった。…けれど、そういう時は「すごく寂しい」を使うのが普通なんだろうなぁ。

過去に部屋で自分が独りで何をしていたのかを思い出す。

寂しがっていないのならば、自分と語り合うかのようにノートに物語を記したりはしないし、感情の波に翻弄されて不思議な絵や不気味な絵を描いたりもしないだろう。

まあ、でもそういう不吉な感情を共有…あるいは癒してもらえるという信頼を僕は他人に対して欠いていたな。

…その他人を信頼できないというのも、寂しい人間の証拠か。

知ってます?人と長いこと話さないと声ってとっさに出ないもんです。

それがあまり親しみのない人相手だとなおさらなのは勿論、親しい家族にも。

…まあ、それ自体が言いにくい、表現が難しいことだというのもありますが、あの喉がつっかかる感じは衝撃的だったです。忘れられない。

そっか、寂しい人間なのか僕は……ふ~む。

なんだか、目からうろこが落ちた思いです。

さて、僕はずっと自分だけの感覚で(というより自分の感覚は自分にしか分からないのだけれど)、寂しくないと思っていた。でも、一般的にはどうやらそれは違うらしい。そして、周りの人たちはもっと自然に「寂しい、寂しい」って言ってたように思う。この差はどこから来ているのだろうか?普通に「寂しさ」を感じられるようになるプロセスがこの世にはあるに違いない。

…(考え中)…。

…恐らくそれは、

1.家族との一体感で寂しくない

2.第二次性徴の時期に、家族と一体感が失われて寂しい

3.こいつらといると寂しくない(寂しさ回避の方法を発見)

4.いつもいっしょなら寂しくない

って流れの中で「寂しい」と「寂しくない」を弁別するようになり、そして「寂しくなくなる方法」を獲得する所にポイントがあるんだろうな。

僕は、どうかな?2.と3.に問題があったかな。

2.の前には自室で一人になる習慣があったと記憶しているし、小学5年生だったかな。親父が酒飲んでニュースに「死刑だ死刑だ」って言うのが嫌だったし、「こんなことも知らないのか?」ってのがけっこうこたえたからなんとなく。その頃は九時には寝てたし。ていうか、中2まで早くて9時半、遅くて10時半には寝てたな。中3から塾に行きだして十一時に寝るようになったけど。そんな感じで、孤独には慣れていた?

3.もな~。上述したけど、あまり広く他人を信じることが出来ない性格になってしまったしな。友人と一緒にいても寂しい時間を感じてしまうし…と言ってもそれはこちらが天然的発言とかして、通じなくて勝手に感じる孤立感なんだけど。ま、人間のコミュニケーションも完全ではないから、仕方ないことだ。だけど、それを仕方ないと割り切れない若さが十代にはあった。言葉を尽くせば伝わるはずだって言うのを信じてた。若かったなぁ。それで変な心理的解決策として、理解されない自分を特別と思いたがっていたな。…それは、今も一緒か。

結局、寂しさを感じないだけの自分だけの世界を構築してしまったわけか。

そしてそれが、引っ込み思案を手伝ってさらに周囲との距離を感じさせる結果となった。

たどってみるとなんてことはない、ただの強がりや悪癖なのだけど、その強がりの欺瞞に気づける程度には大人になったということかな?なあ、26歳?

そうか…これは寂しいという感じなのかぁ…実感湧かないなぁ(苦

僕にとってはこれが普通だし、きっと何か大きな経験をするまではこのまんまなんだろうな。

ああ、でも、これまでは友人が「暇?」と聞いたらそれは「寂しい」の合図、って言うのがさっぱり共感できなかったのを、もしかしたらちょっとは理解できるようになったかも。

う~ん、また一つ賢くなった…っていうか、人間らしくなった気分ですよ~

それでも、理解したというだけで、いきなり変わったりしないのが人間ですが。

なんかよくわからん人間やな、自分。