「Nice boat.」/感想

Nice boat.」の意味がわからない人は読んでも無駄です。

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いや、最終回だけニコニコで見たんですけどね。

削除戦争が起きている最中にね。

それでもアップロードが熱心に行われ、多くの人が見たということは、ニコニコ動画が感想を共有するためのツールとして重宝されているということの証左だと思います。

「ちょっと!これ見てどう思うよ!」

っていうこと。

いわゆる弾幕現象も、どのタイミングでどれだけの人が激しい感情を喚起されたかを端的に見せてくれて、とても興味深い。

そのニコニコにこの「Nice Yacht.」な最終回が熱心にアップローづされたことは、アップロードした人に「他の人と共有したい激しい感情」が沸き起こった自然な結果なのです。

さて、その激しい感情を起こした原因、「中には誰もいませんよ?」について。

地上波で流せるか流せないかについては…、深夜なら別にいいんじゃね?と思ったり。

鉈でもにゃもにゃな女子高生は、某ひぐらしさんとかこのアニメとかとは直接は関係ないでしょ。(間接的に、つまりこういうアニメが企画されて地上波放送されるニーズを生み出す社会字体にそういう事件が発生する土壌があるという意味で。しかし、凶悪事件自体はそんなに過去から悪質化していないという見方もある。津山ごにょごにょとか。それらは関係あるかもしれないし、無いかもしれない)

ただ、問題はこの作品をいかに評価するか、ということ。

残酷な表現って言うのは、もともとホラーの領域であって、どんなに残酷でも「これはホラーだから」で済まされていたと思うんですよね。

でも、これはいわゆる「学園モノ」なんですよね。それがこれだけホラーなエンドを迎えるということ、その創作作品としての意味は?時代の中での位置づけは?と考えるわけです。

僕はエンディング後の普通の学園風景の描写で、それはある程度意味があるのかな、と。

つまりこの作品は、「ホラーではなく日常の学園にも狂気が生まれうる」ことの示唆、そしてそれを「当たり前のように」受けとめる人々が存在することの証明であるように思うのですよ。

11時台のドラマ「ライフ」も同時期だったと思います。こちらも物議をかもしました。

なんとなく、そういう高校生活が描かれる時代ということなのだと思いました。

で、ああまでグロい描写が必要だったかと問われると、逆に「あの程度で?」と聞き返してしまう私が居るわけです。

弟は、はっきり胸糞悪そうにしてましたけど、俺はけろっとしてました。むしろ、「あのバッグを開けた瞬間にごろりと転がり出てもよくないか?」とか思ったり。二次元なら視覚的な耐性は既についちゃってますな。三次元ならどうだろう?嗅覚はアウトだろうな。聴覚的にも悲鳴とかは駄目かもしんない。でも、そんなことを推測する脳みそがあるのが僕は嫌だな。

そういう部分が既にあるからなんでもなく感じられて、単純にその創作的意味を問う余裕がある。それもどうなんだろう?何故、それがここにあるんだろう?

わたしは抑止するけれど。

なんていうか、まあ、これを地上波で見たいと少しでも思った人たちが居たし、地上波で流そうとした人たちが居たし、っていう事実は、十分モラルが崩壊しているよ。おかしいよ。僕ら。

こういう残酷さというのは、マイナーな漫画誌とかにばかり出てきていたのに、それが深夜とはいえテレビというマスコミにまで滲出し始めているというのは、ひとつ象徴的出来事であるかもしれないと思った。

すこしずつおかしくなってるよ。日本。