爪と牙のニュアンス、および僕の捩れについて/myself

次の二つの記事は、爪と牙と題した。

「牙/散文」

「爪/散文」

爪と牙は、それが何かを傷つけるときにどの程度意図的でなければならないか、と言う点において大きな違いがある。

つまり、牙は傷つけるときに顎を開き、そして顎を閉じると言う動作が必要であるが、爪は必ずしもそういう動作が必要ではない。

ふとした弾みで、不意に何かを傷つけてしまう可能性があるのが剥き出しの爪である。

よって、その攻撃性の暗示にはおのずと差が生じてしまっているのである。

牙の方がより暴力的であり、力強い。

しかし、二つの攻撃性の差にもかかわらず、僕はどちらともに自罰的結末を持って来ている。

両者の比較から、攻撃性の多少に関わらず内なる攻撃性は捩って自己に向ける特徴が見える。

それが僕の限界であり、制限である。