幾冊かの所感により/myself

貴志祐介の『十三番目の人格-ISOLA-』を読んだ。

面白かった。

1996年の作品ですか。当時読んでなくてよかった。というか、この時期は小説読んでなかったけど、当時読んでいたら人格壊されかねないな。

以下、自分の人格形成の話。

もし、自分が異なる人生を歩んでいたら?

それは、小学校高学年の頃には考えていたように思う。

きっかけは父のつまらないうそや、クラスメイトの悪口だった。

僕が幼稚園くらいの時、父が酔っ払ってこう言った。

「お前はうちの子じゃなくて橋の下で拾ってきた」

父は幼稚園児だから意味が良くわからないだろうし、すぐに忘れるだろうと思っていたのかもしれない。

でも、僕は憶えている。当時の驚きと悲しみとともに。

すぐに母が「うそだからね」と言ったけれど、僕はその言葉を両親のどちらかに怒られたりするたびに思い出していたと思う。母はなかなか忘れてくれないのに困惑していたっけ。

僕はその嘘から「もし違う家に拾われていたら」と考えるようになった。それは多くは絵本の物語に自分を重ねることで実践された。自分の家よりも金持ちだった場合を考えることも、貧乏だった場合も、どちらも考えた。人に限らず動物にも自分を重ねた。「生き物地球紀行」を見ながら「動物の暮らしは大変だ。僕にはとても無理だ」と思ったりした。

そして結局、今の家が一番良いと思ったし、「捨てられないように良い子でいよう」と思った。なんとなく「捨てられた子を拾ってきた」という考え方と「だからいつでも捨てていい」という考え方をリンクさせていて、そしてそれを恐れていた。

僕は想像力によってそこに癖を生み出してしまったと思う。

「もしも僕が今とは異なる状況にあったら」

あくまでも、異なる状況での自分の思考のシミュレートだった。

ゲド戦記を最初に読んだのは1994年だったと思われる。

僕は自分以外の人間の気持ちを想像することができていなかった。

それまでと同じ想像力、「もしも僕が○○だったら」という思考で、周囲の人間を害する想像だけをしていた。

もしも他人の考えを想像できていたら……だが、それは予防法であって治療法ではないか。暗闇の中で暗闇の正体を知ることは難しい。ただ、それをやり過ごす方法だけが必要とされる。心の中でだけでも暗闇を切り裂いていた。

第一巻の『影との戦い』以外の記憶は残らなかった。

第二巻から四巻までは読んだのに記憶に残らなかった。

(しかし、心の奥には刻まれていたらしい。それは後の話)

第一巻の教訓は、「異なる名前を与えてはいけない」だった。

「影もまた我が身であり、それは異なる者ではない。それと僕の名はひとつであり、名前を与えてはいけない」

そう思っていた。

「名前を与えるのならばそれが僕ではなく僕が作り出す物語の主人公だった場合だけだ。だから、僕はそれらを物語に定着させなければならない」

だから、ごくごく私的に断片的な物語を記録していった。

殺意を自分の下に置くために。

高校に入って、自分のノートの文字が気分によって大きく異なることに気がついた。物事の見方がずれていっていると感じた。

中学時代に他者の視点を想像し、それに合わせたり、その想像によって自分を納得させるために用いられていた、複眼的視点というシステム。それを応用したキャラクタを想像する習慣。その物語は次第に膨張していき、増殖していった。加えて、高校に入って書物を再び多く読むようになり、そこから写し取ってキャラクタはどんどん多様化していった。そして、その中で迷子になるような感覚があった。

ノートには、角ばった文字と丸くてかわいい文字と、唐草模様を密にしたような複雑な文様を描き、血と刃と切断面で構成される絵や、草花や木々を撫でる風と少年少女を描いていた。

自分の異質は深化している。そう感じた。

その頃、図書館で『24人のビリーミリガン』を見つけた。そして、中学時代にテレビ(おそらくNHKスペシャルで)見た多重人格障害のことを思い出した。それはとても恐ろしかった。それすらも写し取るのではないかと思った。しかし、この状況に対してなんらかのヒントが得られるのではないかと思った。

そして、『24人のビリーミリガン』および『ビリーミリガンと23の棺』を読破した。

結論としてこれは役に立った。

まず、自分が多重人格とは程遠い状態にあることが解り、そして記憶の管理が重要であることがわかった。

まず、こういう精神障害に陥るには強い精神的ショックが必要であることが解った。そしてそれは今のところ経験していないと考えた。ただ、これからについて注意が必要だし、あまり考えすぎて自分に暗示をかけるのも良くないと考えた。

記憶に関しては、僕は自分がほとんど毎日夢を見ることを知っていたから、何か異常な行動を起こすのに必要な2時間以上の時間の欠落はきっと察知できるであろうと考えた。夢と現実の峻別など小学生のときに散々学習している。

ただし、分裂症的な部分を自分が持っていることは自覚できたので、自分の中で記憶に関しては客観的で公平な状態、感情を排し冷徹に記録し、評価する体制を築くことを誓った。それはビリーミリガンで言うアーサーのようなキャラクタを想定する作業だった。

名前を与えない。

物語にのみ名前がある。

記憶は隠さない。

全ての物語は、心地よいものも恐ろしいものも僕のものである。

これが全てが自分であるための条件であると思った。

ただし、嗜好の存在は許される。

熱い物語、天然な物語、甘い物語、固い物語、黒い物語。

それらは、異なる嗜好の下で作成され、その上で一つの名に統合される。融和し、一つに練り上げられる。撚り合わされる。

いや、逆に上から説明したほうが解りやすいか。

体は一つで名前も一つで記憶も一つだ。

嗜好は月日によって変動し、刻一刻と変化する。

嗜好はおよそ5分類が可能である。

ある嗜好が成した思考に、他の嗜好がアドバイザー的にコメントをする。そして多数決が行われる。

嗜好はそれぞれに得意な物語がある。

それぞれの物語の中にはそれぞれの登場人物たちがいる。

これが僕の構造だ。

そして、ダメージを受けると上の管理が緩む。

管理が緩むと物語が勝手に流れ出す。

もっとも危ないと感じたときは、布団の中で3か4の物語が動き、そこで5,6人がやたらに喋っていた。

高校時代に感じていた兆候。

しかし、高校時代が幸福だっただけに表面化しなかった問題点。

無邪気ではない僕は恋愛できていない。

それはこの脆弱な構造を維持するだけの地位と確立していないからだ。

これはいつも崩壊の危険にさらされている。

特に、「働く」という局面において危険な構造。

ゆえに、いつしか「僕は小説家にならねば生存できまい」と考えていた。それは物語を形にして生きているからだ。

僕は内部の物語を外部化する作業を必要としている。

「生活の糧を得る」という作業と「生存のために必要だが、一般には余分な作業」とが一致する職業だからである。

そして、その物語たちが周囲に良くない影響をもたらすと考えている。

だから、恋人を持つのは怖いと考えている。

「そう理由をつけて逃げているだけでしょう?愛ってそんな脆いものじゃないと思う」

「そして僕には好きな人がいて」

「俺はすべての人間を嫌っている」

「好きにするといい。感情など不要。私は全てを記録し、正確に記述するだけ」

解離性同一性障害の重要なポイントは辛い記憶の隔離であると思う。

ISOLAを読んで改めてそんなことを思った。

記憶が共有されず、当人が一貫性を持って社交することが困難になるからこの病気は問題となる場合が多い。

もし記憶さえ共有され、衝動がコントロールされていればそこにはなんの問題も無いという認識は変だろうか?

僕はこの複眼的視点は捨てられない。

複眼的視点で正しいと考えている。

なぜなら、それらは環境への反応として必然であったから、これらの中でどれかを意識的に選択することなど不自然だと感じるからだ。

もし、それで短命に終わることになったとしても悔いは無い。

それが、作家になることと生きることを同義と見る理由だ。

(追記)

それらの様々な過程と仮定のすべてが僕を形成している。

どれかひとつが原因ではなく、僕のすべてが僕を形成している。

僕は僕自身でもってひとつの僕という物語を紡いでいる。

人はすべてよそから何かを吸収して、最初の作品たる自身を形成する。