軍の名実/daily

今日、食事中に「国際的な常識から見れば実質的に軍なのだから自衛隊は「軍」と名前をつけるべきだ」、みたいな話をおっしゃったんですね。で、僕は「必要ないと思います」と言ったわけです。「国内外にいらない論争を招くことは無いと思います」と。

今日に限らない前後の文脈を押さえておくと、背景には「治安維持部隊として派遣されながら自分で自分の身を守れないのは内心忸怩たる思いが…」ということを念頭に置かれているわけです。

しかし僕は、ならば尚更「軍」という名を取らずに却って警察予備隊に戻るなどしてでも、「現場の判断」という実を取るべきだと思うのです。

(以下、「現場の判断」とはあくまでも「有事の際の初期対応」という意味であり、有事発生からおおよそ1時間内の判断権の所在についての考察です。日本の場合は先制攻撃はあってはなりませんから常に初期対応は後手となるため、現場の判断は応戦と戦線の維持を達成することを目的とせねばなりません。それ以上の戦略的判断は文民統制の下に行われるべきと考えます。)

現在の警察は原則的として被疑者を撃つのに、1.警告、2.空砲、3.威嚇射撃、4.射撃のプロセスを踏まねばならなかったと思います。ただし最近、犯罪が凶悪化しているので状況によってはプロセスをいくつか飛ばしても良くなりました。実害なければ上司への報告も簡略化されていまして、発砲しやすくなっているようです。

さて、翻って我が国の自衛隊ですが、派遣中はこの警察の規則が準用されます。警察などよりも相対する者の火力が高いにもかかわらず、警察と同じ手順が規定されているわけです。と言うより、実際は発砲しただけでも国内で蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは目に見えているので、発砲が必要な状況にすらならないような安全圏で活動するほかないわけです。

自衛隊は相対的には―言い換えれば、実質的には―警察以下の判断力しか許されていないと言えるでしょう。現在の警察組織ですら現場の判断が上から遅らされることがあって問題となっているのに、です。

そこで、警察の現場での裁量権を高めた後で、自衛隊を「治安」という意味で同じ組織内ながら別働を前提とするものとして組み込む方がいいと思うのです。つまり、中身は変えずに法律上の名称を合わせる中で更なる実をとるわけです。

多分、こうすると警察と自衛隊の人材交流や技術交流も書類の上でやりやすくなると思います。益は多いと思うのです。

逆に自衛隊を例えば「自衛軍」とでも改称したとしましょう。まず間違いなく、文民統制の名目は外されないでしょう。だけでなく、「自衛軍」は軍の呼称という名目上の利や独自の判断力を得ようとするため、これに反発する側はこの相手方の利に釣り合うだけの反発側の利―更に統制を高めるような項目を盛るとか―を求めるでしょう。名を取れば実を取られる。何かを譲らずに何かを得ることは出来ない。

歴史上でも、武官が文官に兵の増強を求め、文官がそれにこまごまと注文をつけた挙句、機能性を損なった例は多いです(そして滅びる)。

「軍」と言う名に自律性が伴うと思うのは短絡的だと思うのです。文官は武官の脚を引っ張るものです。

だから、その間に半武半文の警察を挟むのはアリだと思います。

更に踏み込んで言えば、消防と海保も組織の実質は変えずに上の方で名前だけ合わせてしまえばいいと思います。日本人は書類やマニュアルが大好きで名前さえ同じであれば同じ運用をしたがるものなので、そうした方がいろいろ都合がいいですよ、きっと。

ただ、これを実現できるとしたら、その人物はかなりの詭計家ですから、それが危ないっちゃあ危ないとも思う。

実質は軍隊であっても、名目は軍隊ではない。

そういう曖昧な存在だとしても、実際に必要な時に正しく機能するのならば名前は何だって良いんです。

そして千年経った後、「日本と言う国に実質的には軍事的組織でありながら軍隊と自称しない組織が存在し、国民も軍隊ではないと思っていた。それは全く詭弁に他ならないが、結果としてはその軍隊は実際の軍事行動を取ることなく時代の変化に伴って解体され、詭弁は真実となった」と歴史書に記されるようなことがあれば良い、と思います。

以下、余談。

民衆ってのを女性に喩えるとします。

社会が煮詰まってくると文官は言葉巧みに金を巻き上げるヒモになります。ちゃんとまじめに働けば良い夫なんですけどね…。

武官はそれに憤るマッチョなわけです。

そんで、武官は文官を追い払ってかっこつけるんです。

けど、社会を回のは慣れていないし、巧言令色の方が無骨よりも日常では付き合いやすいですから、ほどなく嫌われちゃうわけです。

そしてフラレそうになると、マッチョはマッチョ同士で争うようになって自滅して、そこに更生した文官が戻ってくるわけです。

大体この繰り返し。

こういうロールプレイの中で、文化・芸術は色男に当たります。中身が無くて刹那的だけどとにかく儚げでセクシー。民はメロメロ。文官も武官も体面上こいつが嫌いです。そして文官も武官も蔭では愛好する。芸術ってそういうエロいものだと思います。