時間の境目/カオス

何故、都会は忙しいのだろう?

人も車もせわしなく動く。

それはきっと人が多いからだろう。

一人の会社員の1日のスケジュールは、彼と関係する人間とのスケジュールと調整されることで成立する。上司、取引先、仕事仲間、妻、それから彼が偶然に拾うことになるタクシーの運転手(例えば、五分待つか十分待つかという調整)など、多様な人が彼のタイムテーブルの成立に影響する。

同様に、上司のスケジュールは上司の関係者に、妻のスケジュールは妻の関係者に影響されて成立する。

関係者の人数が多い人はそれだけ細かなスケジュールを持つ。そして、細かなスケジュールを関係者に組み込む。そうやって細かなスケジュールは伝播する。

このスケジュール調整波は、より少ない関係者を持つ人間の所で減衰していき、最終的には誰かの猶予時間に吸収される。誰かの忙しさを別の誰かが吸収している。

1日という時間は定数だが、人間は移動しなければならないので、この時間と人数の変数を持つスケジュール調整波は移動という要素によって距離と人数の変数を持つように変換されるだろう。つまりある減衰はある面積に存在する人数(多分、影響半径下の密度)に依存すると思う。

要は、多分、信号停車で渋滞が発生する仕組みか?

田舎は人間が少ないので関係者の数も少ない。よって、細かな波が生じることが少なく、また、生じたとしても密度が低いので減衰は早い。

都会は狭い範囲に多くの人間がいるので、その逆になる。

さて、忙しい人は偉い人が多い。しかし、偉い人の数は少なく、互いの距離は遠い。なのに偉い人は偉い人同士関係している。会う必要が生じる。すると、彼らは忙しいのに長い距離を移動しなければならない。忙しいのに。

権限が集中するとこういう非効率が生じる。

うん。

東京は権限の集中によって人を集めた。密度が高いほどエネルギーは投資しやすい。それを可能にしていたのは実は交通と通信の進化である。これらが影響半径を広げ、東京は大きくなった。

しかし、交通の進化が止まり、通信も小休止した80年代に、影響半径の拡大は止まり、バブルがやって来た。バブルは都市の拡大、すなわち影響半径の拡大を見込んでいたが、思惑は外れた。

集め過ぎて効率を落としたのではなかろうか?

ここで必要なのは、権限の再配分である。権限を呼び水に時間を再配分するのだ。

そこで、交通が足踏みし、世界的にエネルギー事情もそれに頼ることを期待できないとすると、通信で情報を交換して、物理的な実在は適度な距離を取ることが望ましくなる。

こういうのは、つまり、先進的な会社では取り入れられたりしている。

しかし、それは一見、流動性に代表されるから、何もかも流動性が良いみたいな感じになっていて、そうではないのではないかな?と思う。

適度な距離間隔が必要なときに流動化を許せばいい。常に流動的である必要はない。情報は流動的であるが、記録は固体である。気体・液体に対する固体。流動とは混濁。カオス。異なるものが触れ合うことによってケミストリー―化学反応が起きる。東京は人があらゆる地方から入ってきて、ケミストリーもすごかったろう。しかし、今は増えすぎた。

通信が成長したから、交通でかき混ぜる必要は低下した。

今は、ネットでかき混ぜられる。

こういう視点において、通信と交通は同じ性格を持つツールである。

つまり「情報」を運んでいる。

人は脳というストレージに駆動系がくっついているようなものだ。

交通の進歩はとまりつつある。車輪の進化は止まり、複数の車輪の情報を共有して交通を整理しようという試みなら進んでいる(カーナビの延長上にある、たとえば自動操縦)。

交通と通信は同一線上にある。

そして、その究極はすべての融合であり、SFが既に数十年前に行き着いてしまった地平である。いわゆる、有名なやつでいえばマトリックス(通信の原始はコミュニケーションであるから、エヴァも同じことだと思う)。

この忙しさの波は、多分、生物全般に伝わる。というか、要は情報の伝達なのだから。生物の遺伝子も情報であるから、つまり、地球上の生命はそれ自体が長い目で見て思考しているとも取りうるが、人間の一生は短いためにそのように見て取ることはできない。ただ、過去の地層から事実を読み取る者たちだけが、それを生物学上の神の存在を意識するだけである(まったく異なるが、物理学者も物理法則の神秘に神を意識するだろう。それは)。だけでなく―一応、人間を「思考する者」と再定義しておく―物質にも伝播するだろう。つまり相互に影響しあうこの地球上のすべてに伝播する。太陽光は入射だけであり、重力波は星の大きさに比して影響力を無視できる。つまり、地球は一個の情報体であって、その意味ではガイア仮説にこの記事は近づいているんだけれども、そうではなくて、ただ、情報を記録する、という定義だけで生命を語れば生命と認識することが可能であるというだけ。

また、意識を持っているように観察されることと、実際に意識を持っているかどうかと言うのは別である。例えば、僕はまるで意識を持っているかのように見えるかもしれませんが、僕自身、本当に意識を持っているのかどうかは良くわかりません。ってか、意識って何ですか?定義プリーズ。

多分、どういう物理法則の下でも、そういう観察可能な情報体ってのが存在し得て、つまり、観測者の存在が物理法則を決定するっていうことはないんじゃなかろうか?

そういう通信の進化は情報の集積を可能とする。

(続く→http://ropaque.blog19.fc2.com/blog-entry-1186.html

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