「こうのとりのゆりかご」/daily

半年くらい前からだったでしょうか?話題になっていた通称“赤ちゃんポスト”に対し熊本市が設置許可を出したそうです。

親が養育できない新生児を匿名で託す国内初の「こうのとりのゆりかご赤ちゃんポスト)」について、熊本市は5日、同市の慈恵病院(蓮田晶一院長)に設置を許可した。病院は今月中にも運用を始める方針。

「赤ちゃんポスト設置、熊本市が許可」(読売新聞 2007年4月5日21時8分)より引用

この件に関して、読売新聞が以下のリンク先の解説記事を書いています。

[解説]赤ちゃんポスト設置へ

名前からそうであろうと思っていましたが、やはり慈恵病院はカトリック系のようですね。中絶反対の立場もあっての設置ということです。

僕自身は設置に対して賛成でも反対でもありません。法律上は問題ないそうですし、ただ、「カトリック系として正当な信仰心からの行動であろう」と考えるだけです。確かに、病院がやるのは行き過ぎという感もありますが、他の公的な施設が保護に手をこまねいている以上、やむない面もあると思います。

報道が過熱し、誰がつけたか「赤ちゃんポスト」という通称が広まってしまったのはさぞ不本意であろうと思います。

名称に関してもそうでしょう。

慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」と名づけているのですが、今ではすっかり「赤ちゃんポスト」が定着してしまいました。「赤ちゃんポスト」というとさながらはがきを投函するかのような印象を与えるので、反感も抱きやすいでしょう。この点でも不本意だったろうと思います。

どこの報道関係者さんでしょうね?こんな通称を考え出したのは?すっかり広まってしまいました。

子どもが身元をたどる手段についても、割符の使用が考えられているようです。取り組みの全体像は果たしてこれまで伝わっていたでしょうか?僕には通称だけが一人歩きしているように見えました。

それにしても、こういう捨て子を受け入れる場所というのは、伝統的には宗教施設が有名でした。誰もが昔話や小説に「お寺で育てられた」や「教会の扉の前に捨てられていた」という話は聴いたことがあると思います。また、かつて現代よりもコミュニティが緊密だった時代には、親が子に暴力を振るう様に憐憫の念に堪えかねた隣人がこれを預り育てるという話もあったそうです。

そうでなくとも、満足に食事を与えてもらえない子に隣の人がこっそり残り物をくれた、などという話も自伝や伝記において目にしたことがあります。

つまり、かつてはそういう親が育てきれない子どもをわずかなりとも助けるような社会的仕組みとして、宗教施設や地域コミュニティが存在していたということです。(まあ、それは希少な例で実際飢饉なんかになったらそういう弱者からぽろぽろお亡くなりになってたと思いますが)。

その機能を宗教法人ならぬ医療法人が担おうとしているという点がこの取り組みの深層ではないでしょうか?

妊娠中絶が技術的に出来るようになったから、中絶是非の論争が生まれたように、子供を社会が保護すべきと言う共通認識が生じたから、どこかが保護しなければならなくなった。そして、児童相談所だけで十分に機能していないと感じられたので、ドイツの例に倣い「こうのとりのゆりかご」が発案された。そして、その是非が議論された。

産科医療、小児科医療の現状を含め、日本社会は子どもを育てるために必要な諸機能を失いつつあります。政府はそのような現状を恥じるべきではないでしょうか?

閣僚はこの「こうのとりのゆりかご」の取り組みについて一貫して否定的な態度を貫いていますが、単に不快感を示すに留まっています。

僕はこの点が不満で、「個人的には、安易な捨て子が増えるのではという思いはあるが、法律的に問題がない以上、政府としてはこのような仕組みが必要とされないよう、出産・育児支援政策をより一層進めていく他無い」くらいは言って欲しいと思います。

単なる不快感の表明だけだったらその辺のおっさんにインタビューしたのと同じですから、もうちょっと政府関係者らしいコメントを下さい。

最後に熊本市長と同じコメントになりますが、できうれば利用されないことを祈るばかりです。基本的には思いつめる前に児童相談所にご連絡を。