研究室春旅行(前編)/daily
今日は毎年度末恒例、一泊の研究室旅行に来ています。
朝出発して昼に阿蘇の麓に到着。山田牧場のバイキングで昼食の後、阿蘇山頂へ。阿蘇山頂は三回目なので略。そして、苦渋夢大吊橋(仮名)に至ったわけです。
この苦渋夢大吊橋、極めて僕の主義に合わないのですが、敢えて500円払って渡ってみたよ!
うわ~、広大な駐車場だね~。立派な売店もあるし、地元の期待(?)のほどが伺えますね。でも、こういう中身が無い名所って一過性のブームに終わっちゃうよね。これからこの駐車場はだんだん空車が増えていくんだ…切ないな~。
あれ?なんだかチェーン展開のラーメン屋で流されているようなチープなカラオケバージョンのポップスが聞こえてくるよ?何のために流しているのか分からなくて切ないな~。
では、いよいよ渡り始めるよ。
揺れるね。うん、揺れてる。
高いね。うん、高い。
滝が見える。日本の滝百選が一つ、震動の滝です。遠いね。うん、遠い。
真ん中にはプレートがあって、ゴジラより高いんだよ~って書いてあったり、総工費が1922000000円だよ~って書いてあったりした。何となく悲しくなった。
おや、ここがあの(自主規制)ですか。なるほど、河原が丸見えで大勢の人に看取っ(自主規制)もらえるかもね。ひとりよりはさみ(自主規制)。パトロールしてる人がいるけど、手すりとかあるし一瞬で(自主規制)だね。くわばらくわばら。
渡り終えた向こう側には、事前に掴んでいた情報の通り何にも無かった。これからUターンかと思うと憂鬱になった。ちょっとそういうコンセプトかと思った。帰りはさくっと通り過ぎた。
紅葉が綺麗だったとしても、本当に自然を楽しむにはこの距離は遠すぎる。むしろ下の渓谷に行ってみたいと思った。渓谷からせせらぎを耳にしつつ紅葉を見上げる空想。だけど紅葉の向こうにデザインに拘った気配すらない凡庸な吊り橋と苦笑を浮かべてそれを渡る人たちが見える。何故こんなものを造ったのだろう?
橋を渡りきって脇道へ逸れると、少し下った所に震動の滝を望む展望台があった。粗末で狭い展望台。しかしここには、安っぽい音楽ではなく瀑布が滝壺を打つ心地良い音があり、橋からは見えない糸を引いたような美しい滝の全容が見えた。僕は橋の往復に掛かったよりも長く、その場に留まった。
あれを壊すのに掛かるお金は造るのに掛かったお金よりも安いだろう。しかし、ただ壊すのではなくそれを造る前の状態に戻すのであれば、それには造るのに掛かった以上のお金が掛かるだろう。そして壊すまでの間に多額の維持費が掛かるだろう。あれはそのまま丸ごと負債に見えた。
もっと少ないお金で下流から滝壺へのささやかな散策路を造れば良かったのに。それは目に見える効果は小さく、地道な努力が必要な事業だけど、少なくとも自然を大きく傷付けることはない。
早く来る者は早く去る。
町おこしは小さくゆっくり広げるべきだ。
が、為された選択にやり直しはきかない。彼らはそれをどう処理するだろうか?
切ないなあ。
その後、湯坪街道へ。
美味しい晩御飯をたらふく食べて、温泉に入り、みんなでお酒を飲んだ。疲れがとれたし、楽しい1日だった。