夢負い人/myself

夢というのは、夢と呼ばれるだけに現実から浮遊していて、それを我が身に引き付けておくのはやはり重荷だ。

現実を知っているのに夢を捨てきれない。その両者の二律背反によって生まれる葛藤や苦悩は殊更に心に重くのしかかる。

夢を追って自身も浮遊してしまうのは楽だろう。

しかし、同時に現実社会との繋がりを失ってしまうだろう。

僕は身の回りの人々が大事だから、夢は追わずに負っていたい。

僕は昔からちょっと変わった子供だった。小学一年生の最初の自己紹介で『ここは幼稚園より年上のきちんとする場所だからきちんとしゃべらなきゃ』と思い、仕事場での父に倣って「私」を一人称に自己紹介するようなちょっとズレた子だった(当然ものすごく笑われた)。

それ以前、幼稚園ぐらいから何となくそういう“周りからズレた感じ”はあって、それで喋りづらいな、話が通じないな、という感覚はあった。それでも幼稚園ぐらいの年頃は物事の一貫性に対する執着が薄いので多くの者が気紛れで、僕みたいな者が混じっていても特に浮くことは無かった。

その後、年を取る毎に周囲との乖離感は増していった。

夢物語の話が好きで本ばかり読んでいたから、あまり話が通じる友達がいなかった。ファミコンも持っていなかったし、お笑い番組も見ていなかったし、ガシャポンとかキンケシとかビックリマンとかを集めるお金も無かったし、何となく“普通の話”ができなかった。

それで、僕はだんだん無口になった。

こちらの話はあんまり分かってもらえないので、こちらから喋るよりも相手の話に合わせて返事をする方が楽だったからだ。

そして、勉強をがんばるようになった。

背が低くて運動神経もいまいちだったし、その上日常会話に至っては上記の如く“普通”からかなりかけ離れていたので、僕の存在意義の第一は必然的に勉強となった。

ただ、小中学生の頃というのは、勉強しかできないやつというのは兎角敬遠されがちだった。これは、反抗期において、勉強の成績を評価の第一とする親たちへの迎合と見られたという面が多分にあるように思う。

しかし、僕は僕で自分ができることを探すのに必死だったから、ほとんど唯一、公に誇れるものとしての勉強をがんばった。その傾向は中学校に上がってますます強まった。

公に、ということは私的に誇るものが有ったわけで、中学生の頃には自分が見る夢物語にある程度の自信を持ち始めていた。僕の考える話は面白いと思っていた。小中学生当時は密かに漫画家になることに憧れていて、夜にひっそり絵を描いて楽しんでいた。ただ、自分で下手なのはわかっていて、他の人に自慢することは無かった。話を考える頭はあっても、画力が伴っていなかった。このため、家族や友達に話したことは無かった。そしてそれは夢に過ぎず、自分は父のように普通に地方公務員で生涯を終えるのだと思っていた。

それが変わってきたのは高校生の頃だった。

高校にはいろいろな人がいて、いろいろな夢を持っていた。

僕にとっては夢のまた夢だった医者や官僚になりたいと平気で公言する人間を見たのは高校が初めてで、それは僕に衝撃を与えた。

絵の上手い人も多かった。都会というのは漫画文化が成熟してて、そういう漫画描きに憧れる人間も多かったのだろう。僕はそういう絵の上手い人を見て、「絵はぼちぼちにして、もっと文章力を磨こう」と自然に思っていっていた。そのくせ、純文学はさっぱり共感できなかったので科学や人文関係のほんばかり読んでいて、文章力は徐々にしか積み重ねられていかなかった。

しかしこの頃から少しずつ確実に、葛藤は始まっていたのだろうと思う。うっすらと作家になりたいと認識しだしていたし、その一方で自分が意外に能力の高い人間だと分かってきたのもこの頃だった。

楽しい高校三年間を過ごした僕は、夢と現実を選択する機会を与えられぬまま猶予期間である大学生活に入っていった。

この大学生活で僕は高校時代よりさらに本を読むようになり、そしてサークルに入らなかったことで更にコミュニケーション能力において他の同級生に差をつけられることとなった。しかし、実際に他人と触れ合うことなく本読んで、プレステして、たまにバイトしてなんて生活を送る僕に、それに気づく機会は無かった。

このコミュニケーション能力の不足が顕在化したのは研究室に入ってからだった。とにかく、普通に会話するには問題ないのだが、とにかく疲れる。そして、研究室以外の見知らぬ他人と会うのは恐怖以外の何者でもなかった。

研究室配属後の三年間は試練の連続だった。

思っていても上手く言葉にできなかったり、分かっていて言わなかったことが現実になってしまったり、思い切って口を出してみたら失敗したり……そうやって行動に移すのも遅かったりして、研究計画に遅れが出たり、そうやって自信を失って鬱になったり。

そういう状態で死にそうになりながらも最終的に考えたのは、「ひとつ何かを残さない限り死ねない」ということ。

「じゃあ、何が良いか?」「小説だ。作家だ。作家になれるのならば死にたくは無い」そう、思うようになっていった。

今の僕にとって、作家になる夢は生きる原動力だ。

これを否定しては生きて行かれない。

けれど、既に多くの人々に心配をかけてしまっている。

特に父母には。

昔から手のかからない子だったのに急に作家だなんて……

そういう気持ちは理解できる。

ただ、絶対に捨てられないのである。

そして、それを最優先したいのである。

夢を背負うための足場となるものについては、それはまた別の悩みがあるが(研究職かそれとも負担の重くない一般企業か、未だに迷っている)、しかし、とにかく夢を背負って生きて行こうと思っているのは、確言できる。

なので、もうちっと待って……。