ヒト/思索

生物学的に私はヒトである。

では、どう在ったら人だろう?

人らしさについて情報を集め、人らしさを予想し、人らしく振舞う。

私は人らしく見えているだろうか?

「俺って人っぽい?」

と訊いたら、それは人らしくないので、できない。

とりあえず、

「人でなし!」

と言われたことはないので、私は人らしいのだろう。

でも、

「変わってるね」

とは言われたことがあるので、平均よりは少し外れているのだろう。

けれどよく考えたら、私がこれだけ人らしさを見出すのに苦労しているということはつまり、普通を体現した人なんてこの世には存在しなくて、みんながみんな大体平均だと勝手に思っているように勝手に振舞っているだけなのであって、だとすると私の今の状態はとても普通のことなのだ。

ということは、平均を目指さなくなった時点で、その人は普通ではなくなるということか。

そういう論法で行くと、何かしら特別であるということは、人間として普通であるということとは全く別物だ。

つまり、普通を目指し始めるスタート地点で既に人は特別で、それから更に、周りの人たちとの関係の中でまた、特別な位置を占める。

気が合うということは、そういうことだろう。

人間として普通でありながら、何かにとって特別であるということは、両立する。