自己満足/思索

「それってジコマンに過ぎないんじゃない?」

って、誰かが言う。

自己満足するのは間違いで、他人を満足させるのが正しい…そう、言いたげなこのセリフ。でもそれはおかしいだろう。

本人が満足していない仕事を、他人が受け取って心の底から喜べるだろうか?

例えば、ボランティア活動なんかが特にそういう性質を持っている。

本人が満足していない、厭々ながらのボランティア活動なんて助けて貰った側もしっくり来ない。

サービスを受ける側が、サービスを与える側にやりたく無い事を無理強いしているような、そんな構図では誰も完全には満足できないのである。

何かの仕事は、まず自分が満足できる質を確保しなくてはならない。

自分が満足できないものを成果として上げるのは、それは妥協と言うもので、極力避けるべきものだ。

まず自分が自分の仕事の質に満足できるだけ、力を注ぐ事。それが一つ、重要だ。

そして、自己満足の先に、本当の課題が浮かび上がる。

本当に理想的な仕事とは、自分が満足し、仕事の受益者も満足する事だ。

もし受益者の満足、顧客満足が満たされなければ、それが本当の“悪しき自己満足”だ。

顧客の声に耳を傾け、自分の仕事の品質に注意を払う事、これだけが自己満足を正当化する。

ここに言う顧客とは、仕事の成果の最終受益者である消費者だけでなく、あなたの労働を購入している雇用主でもある。

あなたはあなた自身の品質に注意を払わなければならない。

自己の能力の限界を出し切って満ち足り、その後、その限界が以下に評価されたかを知る事で、その先の、更なる高みへの道が開ける。

自己に満足しつつ、かつ、謙虚である事、それが為す者の心構えである。

自己満足に終始するのは確かに良くない。

しかし、本当の道に至る最初の入り口として、自己満足は必要な事だ。

それが何故か、自己満足そのものが間違っているかのように評する風潮が昨今、特に若い人にあるように感じる。

こんな明快な論理も、今の若い人は諭されずに生きているのだろうか?

そう思うと、うすら寂しい気がするのである。

ああ、ところでこの記事も当然、ただここに在るだけでは自己満足に過ぎない。

ブログなんてものは大抵、当人が満足する記事が書けていれば、それだけで十分意味があるものなのである。

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